人々をありのままに受け入れる秘訣は目的論的生き方にある

パウロは人々を救いに導くために、人々のありのままを受容しました。
これは簡単に出来ることではありません。
それが出来るようになる秘訣は一つの目的のために他の全てのものを従わせることです。
詳しく見ていきます。

1.ありのままというカウンセリングマインド

「ありのまま」というキーワードはおもにカウンセリングの世界で使われる言葉です。
しかしこれがカウンセリングの領域に止まってしまうのは好ましいことではありません。

なぜなら私たちが自分や周りの人々をありのままに受け入れることが出来るのは、神の恵みによるからです。
神の恵みによるのならば、人生の全領域において実行されなければなりません。

カウンセリングの精神を実行する場所がカウンセリング・ルームだけに限定されないで、カウンセリング・ルームの外においてもカウンセリング・マインドで人々に接していく必要があります。

2.パウロが人々の救いのためにしたこと

「一人でも多くの人を救いに導くために、進んですべての人に仕える者となった」[Ⅰコリント09:19]

この聖書の言葉はパウロが伝道の心得とも言うべきものを吐露したものです。

①パウロは同国人であるユダヤ人と同じ生活をした

これは逆の面から言うと、パウロは同国人のユダヤ人と全く異なる生活をしていたということでもあります。
確かに福音を信じて、信仰生活が長くなってくると、「お前は外国人か!」と周りの者から言われてしまうようなことが起きてきます。
そんなとき、パウロは「クリスチャンだから仕方ない」と勘違いの満足をしてしまうのではなく、意識的に同国人と同じ生活をするように心がけました。
あなたはいかがでしょうか?

②外国人といる時は外国人と同じ生活をした

日本在住の外国人に対して、日本人のほうに歩み寄ってほしいということが言われます。
しかし少し考えれば、そんなことが不可能なことであることはすぐ分かります。

日本語も十分に分からない人たちが、どうして私たち日本人の輪の中に入ってくることが出来るでしょうか?

この面ではアメリカの人たちは一歩も二歩も日本人の我々より進んでいると言わなければなりません。
私たちの教会からアメリカに留学した者が、アメリカの人々にどんなに親切にしていただき、愛してもらったかを伺ったとき、ありのパパはカルチャー・ショックを受けました。

「そこまでやるか」というぐらいお世話してくださるのです。
確かに彼らにはホスピタリティーが備わっています。

その話を聞いて初めて、では私たち日本人も外国から来ている人たちに良くしてあげなければならないという思いを持つことが出来たのでした。

③本質的でないことに心を悩ませる人々にも、彼らと同じ生活をした

偶像に献げた肉を食べることは偶像礼拝になると考える人々がおり、パウロはその人たちが躓(つまず)くことがないために、彼らと一緒にいるときには、偶像に献げた肉を食べませんでした。

パウロにとっては偶像なる神などは存在しませんから、本当は馬鹿馬鹿しいの一語に尽きるのですが、それでもなおパウロは彼らと同じ生活をしました。

3.パウロ的生き方の本質は目的論的生き方

「私は福音によって人が救われるためなら、どんなことでもする。それは私も福音の祝福にあずかるためである」

①神にのみ従いつつ、人々のニーズに応える生き方

パウロの少しも迷いのない、きっぱりとした態度に感銘を覚えます。

私たち日本人は右を見て、左を見て、人がどうするか様子を窺い、全体の流れが決まったように思えるまで、自分がどうすべきかを決断しません。

これは聖書的生き方と真っ向からぶつかる生き方です。
日本人的生活を心がけるように言われて、「いえ、苦労しなくても出来ています」ではいけません。

コアの部分は神にのみ従う生き方に徹し、人様とおつきあいする場面では、日本人と同じ生活をしなさいと言われているのです。
これは知恵が必要な生活です。

「鳩のように素直で、蛇のように聡くありなさい」

②相手のありのままを受け入れるとは、相手の外面を裁かないこと

あるところでタトゥーをしている牧師を非難している信者がいました。
その人にはタトゥーは受け入れられないことでした。

どうして「若者たちに伝道するために、タトゥーをしているのかな?」と考える心の余裕がないのかと悲しく思いました。
自分が受け入れられないことを、なぜ他人に押しつけるのか、ありのパパには理解できませんでした。

若者文化の中ではタトゥーは一般的になりつつあります。
それが良いとか、いけないとか言っても、文化というものは個人的な考えを超えたところで生まれてくるものです。
私たちが文化という壁に拒(はば)まれて、伝道すべき人々に到達できないなら、非常に残念なことです。

③同意・肯定ではなく、共感・受容する

同感するのではなく、「そういうこともあるよね」という態度で接するということです。

パウロ的生き方とは、人々をありのままに受け入れる生き方です。
パウロは人を救いに導くという大目的のために、それをしました。
私たちも同じ生き方をさせていただきたいものです。

◎平安と祝福を祈っています。

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