神が裁くことと、教会が裁くべきことを聖書は明確に区別している

教会で当たり前のように言われることに「あなたが裁かなくても、神が裁いてくださるから、あなたは忍耐していなさい」というのがあります。
しかし聖書は明確に教会が裁くべきことについて教えています。
何でもかんでも神の裁きに委ねよとは教えていません。

        

1.聖書は現実に起きる問題を予想している

「教会外の人たちは神が裁かれる。あなたがたが裁かなければならないのは、教会内のことである」[Ⅰコリント05:12,13]

私たちが思っている以上に、聖書は実際的です。
聖書は私たちに救いの道を示すだけではなく、救われた者たちによって構成される教会のあり方についても教えています。
あまりに明快なので驚くばかりです。
たとえばクリスチャンが貪欲の罪、略奪する罪を犯していたら、その者とは食事さえ一緒にしてはならないこと。
そして指導に従わない場合、教会から除名するようにと命じています。

ありのパパは、教会の戒規の実行ということについてあまり厳しくない教会に育ちましたので、この方面に疎(うと)いのです。
しかし今日この聖書の箇所を読んだとき、あまりにリアルに沖縄のある教会と結びつきました。

        

2.聖書の実際的教えとは?

詳しくこの箇所を読んでみますと、以下のことが書かれています。

「クリスチャンの中で、(教会員の財産を欲しがる)貪欲、(裁判という神が禁じておられる手段によって)略奪する者がいたら、そのような者と交際してはいけないし、一緒に食事をしてもいけない」(教会員同士で民事訴訟を争うこと自体が、キリスト者として敗北であると聖書は明確に述べています)

もし、このクリスチャンが牧師であったとしたらどうでしょうか?
とんでもない話です。

○牧師が教会員の財産を欲しがるなどということがあってはなりません。

○教会員同士の民事上の争いを裁判に持ち込むことを、聖書は戒めています。

○そのような罪を犯し、悔い改めない者と交わってはならないと、聖書は命じています。

        

3.沖縄の教会の事件について

ある沖縄の教会の牧師は、裁判という合法的な手段によって、結果として教会員から財産を奪い取りました。
しかし合法であれば何をしても良いということにはなりません。
神は聖書を通して、どのような手段であっても「略奪」することを禁じておられます。
略奪とは、本人の意志に反して自分のものとすることです。

        

4.福音派の指導者と呼ばれる牧師たちのこと

驚くことに、福音派の指導的な牧師たちが、この沖縄の牧師と交流をもっているとのことです。
このようなあからさまな聖書に反する行動は許されるものではありません。

この牧師と、この牧師と交わりを持っている牧師たちが、日本の教会がリバイバルしない原因となっているのです。
彼らは日本の教会のガン的存在です。
悔い改めなければなりません。

◎平安と祝福を祈っています。

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2 Replies to “神が裁くことと、教会が裁くべきことを聖書は明確に区別している”

  1. こんばんわありのぱぱさん

    沖縄リバイバル教会の 裁判に あたり ぼくも、数ヶ月 脱会者の方々の手記を熟読してまいりましたが、一ひらしんとの立場で あるからか、うえずさんややまださんに同心してしまい、冷静に聖書的に判断するということができませんでしたこの、おっさんナニモンやねん と感情的になってしまうのです‥

    ブログの証言を拝見して感じたことですが、根本的な問題として、ぎま氏が はたして、クリスチャンであるのか否か その疑問が あるのです

    ノバの社長が外人ブランドで一時、成功したように この氏は キリストブランドで 企業経営している感覚ではないだろうか とおもうのです

    ヨハネから名指しで批判されているデオテレペスは 有力教会員では ありましたが 神を見たことのないものです 牧師であるから、自動的にクリスチャンであるとはかぎりません 職種のひとつと 考えているかたも、おられるでしょう ぎま氏が そうだとおもいます。
    ノンクリスチャンには
    聖書的観点からの話し合いは通用しません。

    これはクリスチャン同士のうちわもめではなく、実態はノンクリスチャンの 企業経営者が 教会員の 労働力、時間、財産を 収奪した 経済的犯罪であり 労働基準法違反であるとおもうのです
    これを応援する牧師たちは自分たちが犯罪幇助していることがわかっているのでしょうか ほんまに、どアホです。

    残念ながら裁判には敗北しましたが、このニュースは全国の教会関係者の知るところとなりました、沈黙していれば、まだまだ被害者が 続出したかもわかりません うえずさんたちの 働きは 未来に発生したであろう 数百 数千の カルト被害者を 自らの身を呈して、未然に救出してくださったとおもいます。
    沖縄の教会に主のみこころがなりますよう祈ります

    不適切コメントなら削除してください。

  2. 岡田さん、こんばんは。

    浜松の教会の場合ですと、性的暴行などが認定されましたが、時効期限が過ぎていたため、実質勝訴ではありましたが、訴えそのものは却下されたと思います。
    しかし沖縄の教会の場合は実質面でも形式面でも敗訴のようです。
    沖縄の信徒の方は悔しい思いをされておられると思います。
    控訴も、言うほどたやすいことではなく、さまざまなことを勘案して裁判の継続を断念されたのだと推測します。

    まずキリスト教会の中に神の義(正義)が実現しますように。
    そうでなければ「神の裁きは教会から始まる。」の御言葉が成就するようになるでしょう。

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