拒絶されることがない神

よく「腹をくくれ」とか「当たって砕けろ」とか言われます。
しかしどうやらこれが出来る人と、出来ない人がいるようです。
ある人は、ひょうひょうとしており、何も考えていないようにも見えるのですが、いざとなると腹をくくることが出来、困難な事態に対して当たって砕けることが出来ます。
もう一方の人は、通常はよく物を考えているようであり、思慮深くあるようにも見えるのですが、いざというとき身がすくんでしまい普段の実力を発揮することが出来ないばかりか、大ちょんぼをやらかしてしまったりします。
この違いは一体どこから来るのでしょうか?

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1.失敗への恐れは幼児期の経験から来る

火事場の馬鹿力を発揮できる人は、失敗に対する恐れがない人です。

失敗に対する恐れの理由の一つには、失敗したときに周囲の人々から拒絶されることを恐れるというのがあります。
幼年期から少年期に掛けて、自分が人と違うことをしたとき、(とくに日本の場合ですと)まわりから拒絶されます。
この拒絶には、本人が拒絶されたと思い込むということも含みます。
人は暖かな眼差(まなざ)しを向けられると受容されたと感じ、冷笑の眼差しを向けられると拒絶されたと感じます。

家庭の外でこのような拒絶の体験をしたとき、そのことを家に帰ってから両親に話し、両親から受容されると拒絶体験は無効化されます。
しかし一般的な日本の家庭ですと、子供は外であったことを家に帰って話しません。
それで拒絶体験は子供の心に蓄積されていくことになります。
その子どもが大人になったとき、失敗に対するコントロール不能な恐れを持つのは当然のことかもしれません。

うまくいっている間は良いのですが、少しでも失敗する兆(きざ)しが見え始めると、無意識の領域に抑圧してきた、つらく悲しい記憶が呼び覚まされ、足がすくみます。
本人がそうなる理由を知っていれば、まだその恐れをコントロールできますが、そうでない場合は恐れの感情に支配され、振り回されることになります。

2.人に拒絶される恐れからの解放

人がなぜ失敗を恐れるかというと、失敗することによって人々から拒絶されることを恐れるからだというのは1.で述べた通りです。
ではこの恐れから解放されるためにはどうしたら良いのでしょうか。

それは私たちを絶対に拒絶されることのない神に、わたしの家族・わたしの父となっていただくことによってです。

ありのパパは、あなたが信仰をもつことが一番の解決策であると言おうとしているのでしょうか。
いいえ、そうではありません。

もちろん信仰をもっていただくことはありのパパの願いではありますが、今言おうとしていることは、そういうことではありません。
神をあなたの父としてください。
そして新たにあなたの父となられた神と、親子関係を再構築してください。
これがありのパパの言いたいことです。
拒絶されることのない神をわが父として受け入れ、人生を歩み続けるとき、人に拒絶される恐れから解放されていくことが可能となります。

3.日本の教会に不足しているものは何?

日本の教会とクリスチャンに最も不足しているのは、神との暖かな親子関係ではないでしょうか。
失敗に対する恐れがあると、ここ一番という時に致命的な失敗をしてしまうのは、個人でも団体でも同じことです。
たとえそれがクリスチャンであっても、例外ではありません。
では一番大切なときに腰砕けにならないために、どうしたら良いのでしょうか。

①同じことで悩み、そこから脱出した人に話を聞く

人は考えや思想にではなく、体験から語られる言葉に心が反応します。
アル中はアル中の話を聞くことによって癒しの道を進むことが出来、薬物中毒者は薬物中毒者の話を聞くことによって癒しの道を進んでいきます。
アル中が薬物中毒者の話を聞いても少しも感動しません。
それどころか自分のことを棚に上げて、相手を見下すようになります。
癇癪持ちの人は他の癇癪持ちの人がどのようにしてそこから解放されたかの話を聞く必要があります。
自分と同じ問題をもっている人を探し出し、その人たちとグループを作り、ミーティングを開くことです。

②霊的体験ではなく霊的目覚めを求める

人は人格的関係を結べないとき、霊的経験に逃げ込もうとする傾向があります。
しかしそのような霊的経験は私たちを変えることが出来ません。
ただ、霊的目覚めだけが私たちの人生を変革へと導きます。

③日常生活を大切にする。

普段の何気ない生活の折々に触れて、あなたを拒絶されることのない神を黙想してください。
妄想の中に逃げ込むのでなく、現実生活のただ中で神の愛を感じ、神の愛を生き、その神の愛を持って人々を愛してください。

◎これこそ、神が私たちに願っておられることです。
平安と祝福を祈っています。

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