退屈な人生と心躍る人生の違いはほんの些細な違いから始まる

退屈な人生と心躍る人生のちがいはほんの些細な違いから始まります。
その違いについて解説し、ではどうしたら心躍る人生を生きることができるのかをお話します。

        

1.退屈な人生と胸踊る人生

「ノアとその家族が箱船に入ったその日に、洪水が始まった」(創世記07:11-13)

ノアについての記述は聖書の中でも最も心躍らせる物語の一つです。
神に従う人生は、多くの人々が思っているような退屈な人生などではなく、スリルに満ちた冒険にあふれる人生です。
それはノアを見ても分かることです。

しかしクリスチャンであっても、信仰生活を送りながら内心「つまんねぇ」と思っている人もいるかもしれません。
なぜある人は胸踊る人生を生きているのに、ある人は退屈さを感じる人生を生きるのでしょうか?

そのちがいが、もし持って生まれた性格や神が与えた運命によるならば、こんな不公平なことはありません。
しかし神は不公平な方でなく誰よりも公平な方です。
ですから問題があるとするなら、それは私たちの側にあるのです。

2.周りを見ると信仰はぐらつく?

ノアの箱船には窓は天井にだけ付いていました。
普通、窓といえば側面についているものですが、なぜ天井にのみついていたのでしょうか?

それは側面に窓がついていれば、方舟をバカにして中に入らず、大洪水で死んでいく人々のありさまがあまりにもリアルに伝わってしまい、ノアたちの信仰が弱くなってしまう危険があったからです。

このことは何を私たちに教えているでしょうか?
ありのパパはこう考えます。
神の意志が示されたとき、いったん従うと決断したならば従い続けなければなりませんが、周囲の状況を伺っていると初めの信仰が揺らいでしまうことがあります。

これが初めは良いスタートを切ったにもかかわらず、結局信仰をもっていない人とそんなに変わらない人生で終わってしまう最大の理由です。

ですから天井に付いた窓とは、上を見る信仰、神様だけを見上げる信仰を指していると理解しています。

        

3.どうしたら冒険に満ちた生涯を全うできるか?

①神の御意が示されることを願い求める

自分の願いや計画を追い求めていく時、はじめのうちは元気があります。
しかし段々と元気がなくなります。
なぜでしょうか?

それは夢や計画が実現するためには、神の力が必要ですが、神の力が与えられるのは神の計画に限られているからです。
ですからどうしても神の力を活用したいと願うなら、自分の計画を放棄して、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求める必要があるのです。

②皆がどうするかではなく、示された御意に従う

「こう生きる」と決めたら、人の目を気にしないことです。
結局、人の目を気にするということは、神よりも人の顔を恐れるということです。
これは神が最もお嫌いになられることです。
人と違うことをやっていると「自分はドンキホーテであり、時間の無駄遣いをしているだけかもしれない」という恐れがやってきます。
そのときこそ天窓を見上げて、信仰を奮い立たせるときです。

③今日一日を生きる

「昨日はこうすればよかった」と悔やんでも、昨日は戻ってきません。
「明日はこうしよう」と考えたとしても、その明日はいつまで待ってもやってくることはありません。
なぜなら「明日」という日がやってくるとき、それは「今日」という日に名前を変えて私たちのところにやってくるからです。
ですから私たちは「今日」という日を生きなければなりません。
昨日の出来事を悔やむ自己憐憫に別れを告げ、明日をいたずらに夢想する白昼夢と手を切るのです。

◎神の意志を求め、その意志に従って生きるとき、私たちの人生は豊かなものになります。
平安と祝福を祈っています。

        

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