キリスト教、第三の挑戦

我が国の歴史の中で、キリスト教は繰り返し宣教にチャレンジしてきました。
残念ながら、どの挑戦も成功したとは言えませんでした。
けれど第一走者が第二走者にバトンを渡すリレーのように、キリスト教は日本社会に影響を与え続け、次の走者であるキリスト教宣教者に有利な状況を提供してくれました。
僅(わず)かずつではあっても敵であるサタンの防衛ラインを後退させてきたのです。

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イントロダクション:景教

景教徒ではないかと言われている光明皇后は、日本で最初の孤児院や病院を造り自らもそこで働きました。
表向きは熱心な仏教信者ということになっていますが、仏教研究者によると、光明皇后のこのような行為は仏教から逸脱した行為であり、仏教からは本来は出てこないものだと言うのです。
ありのパパはこれを読んで「そりゃ、そうでしょうよ」と、我が意を得たりでますます妄想大爆発となったわけです(笑)。

第一の挑戦:キリシタン

1549年にカトリック教会が我が国に宣教を開始しました。
それから僅か38年後には禁教令が出て、急速にキリスト教に対する圧迫が強まっていきます。
[以後よく伝わるキリスト教]と年代を暗記したのを懐かしく思い出しますが、[一路いざ]1613年には完全な禁教が実現することになります。

当時の人口の約2千万人のうち60万人から200万人がキリシタンであったとされます。
このうち三分の一が殉教、三分の一が海外に追放、残り三分の一が地下に潜伏し隠れキリシタンとなったと言われます。

遠山の金さんで有名な江戸町奉行の遠山影元は、大向こうをうならせるお裁き(判決)を連発しました。
その中に二人の母親が一人の子供をめぐって親権を主張するという事件がありました。
この事件に対する裁きは「子供を半分ずつにせよ」というものでした。
それで本物の親は親権を放棄すると申し立てたのですが、遠山影元はこの親権を放棄した者こそ本当の親であると喝破したのです。
これは旧約聖書にある物語と瓜二つであり、単なる偶然ではなく遠山影元が聖書を読んでいたとしなければ到底理解できないことです。
このことからも分かるように膨大な数の潜伏キリシタンが存在していたのではないかと思われます。

第二の挑戦:プロテスタント(主にリベラル派キリスト教)

江戸幕府が倒れ明治政府になってから7年後の1873年に禁制の高札(きんせいのたかふだ)が撤去され、実に260年ぶりに信教の自由が回復しました。
諸外国の圧力によって、しぶしぶながら制限付きの信教の自由を認めたわけですが、この時代は太平洋戦争中の1943年まで続きます。

第三の挑戦:福音主義キリスト教

太平洋戦争敗戦後、完全な信教の自由がもたらされてから現在に至るまでの期間が、この期間にあたります。
第一の挑戦のときの期間は64年間でした。
第二の挑戦のときは70年間でした。
今年は1945年に信教の自由が回復されてから64年です。
私たちが挑戦するべき、この第三の期間はあと何年続くでしょうか?

キリスト者が社会で多数を占めることが問題解決のカギ

お隣の韓国ではキリスト教人口は3割を超えました。
(総人口4千万人のうち1千万人以上がクリスチャンであると言われます)
同じく中国ではキリスト教人口が約一割と言われます。
(総人口13億人のうち8千万人から1億3千万人がクリスチャンであると言われています)

はっきりしていることは、キリスト教徒が多数派とならない限り迫害はいつやってくるか判らないということです。
日本でも人口の三分の一をクリスチャンが占めるようになれば、我が国は全く別の国になってしまうと思います。
国内においては神道原理主義の圧迫が遠ざけられ、弱い者(障害者・貧しい者)・寡婦・外国人登録者らに対して愛の手が差し伸べられ、企業の競争はルールに基づいたものとなります。
外国に対しても過去に犯した歴史的事実を正直に認めることは勿論、工業製品を輸出するとともに愛と福音を宣べ伝え、諸外国から「愛と平和の国」と呼ばれる日が来ると信じます。

そのすべての土台がキリスト者が人口の多数を占めるということにあるのです。
これなくしては絵に描いた餅にすぎません。

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コメント

  1. 岡田 より:

    ありのぱぱさん こんばんは

    人口の三分の一ですか これは神業でないかぎりとても考えられませんね
    たとえば ひろのみや様が牧師になられ、ウェスレーのように馬にのり、全国を 福音伝道の巡幸に回って下さるとか

    剣山から モーセの杖 十戒の石版 マナのつぼが 発見されるとか(笑)
    あれば日本人のマインドも変わってくるかも…

    ぼくも日本の救いのため祈り考えてはおりますがなんの妙案もアイデアもありません お手上げです(牧師の立場ではこれは言えません) いろいろな海外の成功モデルも 出尽くしたように思います 多少の啓発効果はあったにしても、どれも見るほどの効果を上げてはいません

    神さまは聖書に こう書いておられますと 愚直にかたり続け あとはただ 聖霊さまの 神風がふくのを、待つのみという心境です ギブアップです

    きょう 誰か一人 イエスさまの お話をできる人を わたしに与えて下さい

    これが週報に書いてあった 今週の祈りですが きょう友だちに電話したら 教会の話しは せんといてくれ とハッキリいわれ かなり精神的打撃を受けました

    (オマエ そんな 頑なな心やから 商売 うまいこといけへんねや) と強烈に さばいてしまいました ありのまま 受け入れて いないのですね

    牧師の くちぐせは 神さまに 祈るのはただや 何が起こるかは 神さましだい 日本4千万救霊のために わたし きょうから祈り始めます。

  2. arinopapa より:

    岡田さん、こんばんは。

    >神業でない限りとても考えられません。

    とても良い表現ですね。
    仰る通り、神業を期待しましょう。

    >なんの妙案もアイデアもありません お手上げです

    その通りだと思います。
    日本の教会は、「これが教会成長の秘策だ!」と言われると、よく考えもせず飛びついてきましたが、それは結局、「イエス様の力なんかいらねぇ~よ。俺たちだけの力で出来るもんね。」と言っているのに等しいことであったかもしれません。

    > 聖霊さまの 神風がふくのを、待つのみという心境です ギブアップです

    願わくはお互い一生の間、ずっとギブアップのまま人生を終えたいものです。
    しかし少しうまく行き始めると、欲がむき出しになって目の色を変え、気がつくと神様から主導権を奪っており、それに従って聖霊の働きも止むという悪循環(笑)。

    >オマエ そんな 頑なな心やから 商売 うまいこといけへんねや

    思わず、「その通り!」と心の中で叫んでしまった私は……。

    >日本4千万救霊のために わたし きょうから祈り始めます。

    ご一緒に祈ってまいりましょう!