どうしたら迫害に屈しないキリスト教会を建設できるのか?

戦前の我が国のキリスト教会は福音派もリベラル派も神道原理主義政権に対して総崩れになってしまいました。
迫害に屈しないキリスト教会を建設するためにはどうしたらよいのでしょうか?
ありのパパの提案をご説明します。

「やがてその働きの真価が問われる日がやってくる。それは裁きの日である。
最後に何も残らなかったら、その働きは無価値のものということになる」
(Ⅰコリント03:13~15)

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1.教会の働きの真価が問われた日

戦前のホーリネス教会弾圧の際、教職は一人残らず獄屋に囚われの身となりましたが、信徒の多くはクモの子を散らすように散り散りばらばらになりました。
(しかしその中にも神は「バアルに膝を屈(かが)めぬ七千人」を残していてくださり、戦争中ずっと特高警察の監視下に置かれた信徒もおられました。)

まさに裁きの日に、その働きの真価が問われたのでした。
しかし教会はその試験に落第してしまいました。

2.戦前の日本の教会の失敗の原因

ホーリネス教会では聖潔(きよめ)の恵みを受けると全き愛に満たされて信仰生活を送ることが出来ると教えていました。
それにもかかわらず迫害が起きると一目散に逃げ出してしまいました。
いったい、そのどこに全き愛があるというのでしょうか。

神の御前での正しい営みとは、自分たちの信じていた信仰や神学のどの部分に誤りがあったので、このような失敗を犯してしまったのかを問うことです。
しかし戦後、日本の教会は福音派もリベラル派も何らの反省も悔い改めもなく、ただ漫然と伝道を再開しました。
戦前と変わらぬ同じ教理を宣べ伝えているのですから、また迫害が起きれば同じように総崩れになってしまうと考えるのが順当であると思います。

そうならないためにはどうしたら良いのでしょうか。
キリスト教会の知恵を総結集して、このことを考えていかなければなりません。

リベラル派教会も、福音派教会も、一度失敗した落後者であり、前科者です。
何も誇るところなどはないのです。
それを何を勘違いしたか、自分にも誇るところがあるなどと思い上がるなら、神がその人に恥を見させられます。

3.どのような教会像を追い求めれば良いのか?

「金・銀・宝石のような価値あるものを使う人もいれば、木や藁(わら)のようなつまらぬものを使う人もいる」(Ⅰコリント03:12)

①牧師・伝道師などに象徴される階層管理でなく、フラットな組織の教会造り

戦前のホーリネス教会の失敗は牧師を中心とした階層構造にあったと考えます。
これと正反対なのが隠れキリシタンです。
宣教師が全員いなくなったあと信徒のみで教会を何百年もの間、維持することに成功しました。
教会の要になる人がいなくなれば教会が空中分解するのは当たり前のことです。
ですから、そうならないためには教会の要を複数の信徒が担うことが、教会が迫害に屈しない為に必要なことです。

②信者に本当に任せる

任せると人は喜びをもって能力を発揮するようになります。
何も任せられなかったホーリネス教会信徒は、ただ漠然と平和な時代が来ることを願うだけでした。
これに対して隠れキリシタンはどれだけ殉教しようとも信仰を捨てることを決してしませんでした。

③決して牧師が信徒を叱(しか)らないこと

「あなたがたは牧師の言うことを聞いて従っていれば良い」という姿勢が教会を崩壊させました。
もし私たちが迫害に屈しない教会を建てあげたいと願うのであれば、このような家父長的指導は厳禁にしなければなりません。

好ましい指導のタイプは「こうしたらいいのではないか」という問題解決提案型で対応することです。
対決的でない受容的アプローチこそがキリスト者を自律的な信徒へと育てる秘訣です。

◎平安と祝福を祈っています。