創造論は聖書が教えていないことを教えている

福音派教会は伝統的に進化論を拒否してきました。
今日はこの問題について皆さんとご一緒に考えます。

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神の創造の業をどう捉えるか?

創世記2章1節に「こうして、すべてのものが完成した」とあります。
これは神でさえ創造の業を完成させるのに(その当時の時間的経過を表す単位で)一週間掛かったことを示しており、この間の過程を進化と呼んでも差し支えないようにも思われます。

①進化論を認めると弱肉強食の社会が出現してしまうという主張

キリスト教会が進化論を拒否する理由は、人間が猿から進化したものだとする考えは弱肉強食の哲学が背後にあり、これを認めることはそのような社会の出現を許してしまうことにつながるというものです。

しかしキリスト教の影響力が最も強いアメリカが、世界で最もし烈な弱肉強食の社会となっているのが現実です。
これに対して進化論を丸ごと受け入れているように見える日本は(新自由主義によって社会が疲弊させられる以前は)割合に格差の少ない社会でした。
進化論に関する教会の主張は、少しも現実を反映していないと言うことができるでしょう。

②進化論を認めると人権尊重の根拠がなくなるという主張

二つ目の教会の主張は、人も猿も同じ祖先だとしたら、神が人にお与えになられた「人権」を尊重する根拠が失われるというものです。
しかし創世記2章7節には「神は土のちりで人を創造し、その中に霊を入れられた」とあります。
人とそのほかの被造物のちがいは、霊的存在であるかどうかにあり、肉体をもつ存在として質的な違いがあるわけではありません。
もちろん人以外のものを神が創造されたときは、ご自身の言葉で「あれ!」と言われるだけで創造なさったのに比べて、人を創造されるときは言葉だけではなく「土のちり」から自ら創造されたことは大きな違いです。
しかしこれは大きな違いであることに間違いはないのですが、土のちりとは取るに足らぬものの象徴であり、何ら自慢できることではないのです。
また土のちりからさえ創造されたのであれば、アメーバから創造されたと考えるのも何らおかしいことではありません。

◎今日ここに書きましたことは、ありのパパが何十年にも渡って聖書を丹念に読んでいったときに自然にまとまってきた理解であることを申し上げておきます。
どうぞありのパパが進化論者になったなどと誤解なさいませんように(笑)。
平安と祝福を祈っています。

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コメント

  1. ヒラぴゃん より:

    ありのパパさん、こんばんは。お久し振りです。
    進化論と創造論についてはネット上でも皆さんが熱い議論を戦わせていますね。
    かく言う私の教会でも、何年か前に「創造科学」の講師を招いてお話を伺ったこともあります。
    いわゆる「創造論」というのは、組織神学のテーマなので福音派だけでなくリベラル派でも取り扱いますが、ネット上で議論されている内容を読むと、「創造論」ではなく「創造科学」のことなんですね。「創造科学」という概念はリベラル派には存在しません。
    福音派の方は、その点(「創造論」と「創造科学」の区別)については、どのように理解されているのかな、ということがちょっと気になります。
    私としては、「創造論」は神学のテーマとして大いに議論したいところですが、「創造科学」となると、それは神学のテーマではなく、疑似科学のテーマになってしまうと思っているので、創造科学を神学のテーマと考えている方々とは土俵が違うので議論にならないと考えています。
    今回の、ありのパパさんのご指摘は考えさせられました。パパさんのように自己の信仰を客観的に見ることのできる方が福音派の中に多くいれば、リベラル派との対話も円滑に行くだろうな、と思わされました。いつものことですが敬服します。
    これからも、このブログで色々な話題を提供してください。楽しみに読ませていただいていますし、時々はコメントさせていただきます。

  2. arinopapa より:

    ヒラぴゃんさん、こんばんは。
    コメントくださり、ありがとうございます。励まされます。

    福音派教会は、この問題については「二刀流」であると思います(笑)。
    ご指摘のように、創造論と創造科学は別物であるにもかかわらず、双子の理論のように取り扱われてきました。
    しかし当然のことながら、本音ではまたちがう考えを持っている人が多いと思います。
    旧約聖書通読が最後まで行きましたので、また創世記からスタートです。
    ブログのネタ(!)は聖書が材料である限り、無尽蔵です(笑)。

    創世記に関しては、ヒラぴゃんさんをというわけではないのですが、リベラル派を異常に意識して文章を書くので、時間が掛かること掛かること。
    「誰か助けて」という感じですが、マァ自分の掘った穴に落ちたアホーということですかね。

    それでいつもですと、この時間はもう寝ているのですが、今やっと明日の文章が完成したところです。
    そのタイミングで、ヒラぴゃんさんのコメントが届きましたので、即時返コメが出来ました。

    ではお休みなさい。