癇癪持ちにも働く神の力とは?

以前、癇癪(かんしゃく)持ちからの解放という文章をアップしたことがありました。
実はありのパパはある時までは怒りを制御できないことを正義感が強いぐらいにしか思っていなかったのです。
それがあることをきっかけにして正義感が強いから怒りが制御できないのではないという当たり前の事実に気づくことになりました。
そのきっかけとなった出来事をお話します。

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ありのパパ、きれる!

ある地方のローカル電車の駅で、高校生のグループが歩きながらガムを噛み、そのガムの包装紙をごみ箱に捨てずに地面にそのまま捨てました。
その高校生の一団の後ろを歩いていたありのパパは「仕方ないな」と思いつつ身をかがめて包装紙を拾いました。
かがめた身を起こそうとしたとき、二つ目の包装紙が地面に投げ落とされました。
そこで私はキレてしまいました。
「こらぁ~!ごみ箱に捨てんかぁ~!」その小さな駅全体に声が響きわたるぐらいの大声で怒鳴っていました。
すると何人かいた中の一人が「すいませんでした。以後気をつけます」とこれ以上ないぐらいに礼儀正しく謝ってきました。
ありのパパはその高校生たちは逆襲してくるかなと考えていたのですが、それとは正反対の対応でした。

神の働きが始まる

ここからありのパパの中に聖霊である神の働きが始まりました。
田舎の駅のホームですから、何mもありません。
それでその高校生たちの様子をよく見ることができました。
そうすると明らかに分かることがありました。
それは彼らは傷ついていたということです。
彼らは電車に乗ってどこかへ行こうとしていたようですが、そのうちの一人は「俺、そんな気持ちになれへんから帰るわ」と言って家に帰ってしまいました。

私はその光景を見ながら、自分も父親に殴られて育てられたことを思い出しました。
子供時代の新年の決心は「今年は父に殴られないようにする」というものでした。
大人になって明らかに分かったことは、ありのパパの父親には人格的な問題があり、コミニュケーション能力に瑕疵(かし)がありました。
しかし子供であったありのパパはそのことが理解できず、自分に問題があるので殴られるのだと誤解していました。
そして大人になってから自らがアダルトチルドレンであることに気づくというお定まりのコースを生きたのでした。

天才的な誤解と悪魔的な復讐

クリスチャンになって、殊にカウンセリングを学んでからは、この呪いの連鎖とも言うべきものを断ち切ろうとしてきました。
ある程度はうまくいっていると天才的な誤解をしていました。
しかし高校生を理不尽に傷つけるという絶対に言い訳できない出来事を通して自分の本当の姿を見ざるを得ませんでした。
ちっとも癒されておらず、自分が子供時代に親に傷つけられたように自分もまた人を同じ方法で傷つけている。
このことに気づいたとき、体に悪寒(おかん)が走りました。
その時初めて、怒りが制御できないのは正義感が強いからではなく、親に復讐しているからであると知りました。

◎ありのパパが傷つけた高校生に謝ろうとしても謝ることは出来ません。
しかしすべての高校生にお会いするたびに、ありのパパはあの時の高校生を思い出すのです。
そして今、目の前にいる若い人々に神によって成熟させていただいた成人として接することが出来ますようにと祈りながらお話ししています。

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