日本でキリスト教が盛んだった景教(聖徳太子)とキリシタンの時代

日本でもキリスト教が盛んだった時代がありました。
それが聖徳太子のときの景教とキリシタンの時代です。
私たちはここから何を学ぶことができるでしょうか?

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1.景教から学ぶこと

①景教と聖徳太子

聖徳太子の時代には渡来人(とらいじん)と言われる人々が朝鮮半島から多く渡ってきました。
ありのパパは、この渡来人の中に多くの景教徒が含まれているのではないかと推測しています。
その根拠については「ネストリウスへの迫害が景教につながり、聖徳太子にまで繋がってる?」をお読みください。

景教といっても、その教えについて文書が我が国には残されていませんから、ここでは聖徳太子の憲法17条から学んでいくことにいたしましょう。

第一に「和をもって尊しとせよ」とありますが、この「和」は「わ」ではなく、「やわらぎ」と読みます。

広辞苑によると、
⑴柔軟になる。
⑵穏やかになる。柔和になる。きびしさがなくなる。
⑶親しむようになる。睦(むつ)まじくなる。
とあり、要するに「平和の中に共存することを最も大切なことと考えよ」という教えです。

塙保己一のこと

日本最大の国学者である塙保己一(はなわ・ほきのいち)は「さんぽうを敬い」の三宝が[仏・法・僧]ではなく、三方[儒教・神道・仏教]であるとしました。
ありのパパは、この三方が[景教・神道・仏教]ではなかったかと考えています。

塙保己一が存命当時に「景教であった」と主張できる可能性は全くありません。
なぜなら、そのような主張をすることでキリシタンであると疑いを掛けられ、結果として社会的地位を失い、身体的自由を失う危険があったからです。

ですから塙としては「さんぽう」が三宝でなく、三方ではなかったかと主張するのが精一杯の彼の出来る事であったと思います。
私たちは塙のあとを引き継いで、この三方の中身は何であったのかを考える使命があると思っています。

寛容をもって人々に接する

景教徒であった(とありのパパが推測している)聖徳太子は「和をもって尊し」と教えました。
神道と仏教という二つの宗教が緊張関係の中にあり、一触即発と言っていいほどの状況の中で、景教は第三勢力であり、もしこの争いに巻き込まれれば、絶滅してしまう恐れがありました。
ですから聖徳太子としては「和をもって」と言う他はなかったのかもしれません。

今の時代は完全な信教の自由が保証されている時代ではあります。
しかし少しずつ少しずつ信仰を圧迫する時代が近づきつつあるのを感じないわけにはいきません。
この自由の時代を無駄遣いせず、活かして用いるためにはどうしたらよいでしょうか?

私たちには自分たちの宗教のことばかり考え、全体のことは眼中になく、国家・社会のことは神様にお任せという傾向があります。
これではいけません。
聖徳太子に倣(なら)って、私たちも国家・社会に対してどうあるべきかを考えていく必要があります。

2.キリシタンから学ぶ

①プラスの点

キリシタンは誰が自分の主であるか、はっきりさせていました。
そして復活のいのちを本当に信じていました。
イエスが主なのか、主君が主なのか、その答えを明確にもっており、またその結果を甘受する覚悟をもっていました。

②マイナスの点

隠れキリシタンとなったことです。
迫害を逃れるため、言い換えれば「静かなクリスチャン」になってしまいました。
「静かな」と言えば聞こえはいいですが、言い換えれば「伝道しないクリスチャン」になったということです。

ローマ時代にキリスト者は大迫害の中を通りましたが、決して伝道を止めませんでした。
なぜなら迫害に勝つ唯一の道は伝道しかないことを知っていたからです。
そして、ついにキリスト教徒が多数派となり、迫害は止みました。
伝道しないクリスチャンはサタンの思うつぼであり、致命的敗北は確定的です。
「伝道熱心なクリスチャン」こそ、圧倒的勝利の鍵です。

主よ。私はあなたのことを聞き、
あなたの御業を恐れます。
今の時代に、彼らを新しく変え
彼らに知らせてください。
御怒りのうちにも、憐れみを忘れないでください。
(ハバクク書)

◎平安と祝福を祈っています。