頑張ってないけど神が働く韓国、頑張ってるけど神の働きがない日本

神の働きが活発な韓国、神の働きがない日本。
この違いはどこから来るのでしょうか?

当ブログは聖書信仰の視点からa.キリスト教全体を俯瞰(ふかん)し、b.問題の核心は何か、c.ではどうしたら良いのかを考えることを志すサイトですので、信仰と神学、信仰と文化、心の問題と信仰の関係について考えます。

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1.信仰と神学の関係

①韓国では改革派が多数派

韓国では教会というと長老教会が一般的です。
(もちろんペンテコステ教会も多いです。ただ人々の一般的印象で言うと長老教会ということになるようです)

それに対して我が国ではウェスレアン・アルミニアンが福音派教会の中で多数派を占めています。
また多数派というにとどまらず様々な超教派団体でウェスレアン・アルミニアンの人たちが活躍しております。
実質的には日本の福音派はウェスレアン・アルミニアンの神学に立つ教会が動かしていると言っても良いほどです。

②カルビニズムとウェスレアニズム

この二つの神学はどんな違いをもたらすでしょうか?
カルビニズムは神の主権を、ウェスレアンは人間の側の働きを強調します。

もちろん神の主権を認めたうえで人間の側の責任を強調するのですが、ややもすると焦点を人間の働きにのみ当て「ダメだ、献身が足らない、なんてダメな自分なんだ」ということになりがちです。
このことに関しては改革派の批判は当たっていたと言わなければなりません。

ちなみにありのパパはウェスレアン・アルミニアンの神学しか知りません。
それで知らず知らずの中に人の働きにのみ焦点を当ててしまうのかと省みてそのように思いました。

2.信仰と文化の関係

①日本文化の良い点は正直・誠実・従順

韓国文化の特徴はケンチャナヨ(大丈夫、何とかなるよ)であると言われます。
もちろん他にも良い点がたくさんあります。
ただここでは主題に関係する文化的特質のみを取り上げています。

日本文化の良い点をあげましたので悪い点もあげると、人の目を恐れる村社会意識・神の義より己が義を優先する武士道精神・キリスト以外のもので心を満たそうとする偶像礼拝があります。
これが教会の中に入ってくると、村社会意識は世俗主義に、武士道精神は律法主義に、偶像礼拝は主観主義(熱狂主義)に姿を変えます。
しかし本質は同じです。

②韓国文化と日本文化がぶつかると

韓国人クリスチャンを身近で見てきたありのパパですが、正直言って「いい加減だなぁ」と思うことが度々ありました。
言うこともよく変わりました。
日本人クリスチャンはその度に心の中では忸怩(じくじ)たるものを感じながら、そんなことはおくびにも出さず従順を装っていました。(これを「抑圧」と「演じる」と言います)

しかしマインド・コントロールされていない教会では(それが当たり前のことですが)いつか抑圧していた不満が爆発します。
あたかも武士が我慢に我慢を重ねてついに怒りを爆発させて切腹するようにです。
本当は本音で話し合い、爆発する前に「けんか」をし、相互理解を深めなければならないのですが、日本人クリスチャンにはこれは難しいことでした。

③相互の理解が不十分

今はっきり分かることは、韓国人クリスチャンは人間の側の働きを重視していないということです。
確かに口では献身の重要さを説くのですが、本音のところでは「だからと言ってそれで神の働きが左右されるわけではない」と考えていたと思います。

「それならそうと、はっきり言えよ」などど失礼にもありのパパは思ってしまうのですが、韓国人クリスチャンにとってはそんなことは当たり前のことであり、伝えなければならないとは考えなかったのでしょう。

3.アダルトチルドレンと信仰の関係

アダルトチルドレンは心の奥底に十分に養育してくれなかった養育者に対して恨みを持っています。
それを無意識に抑圧している場合、様々な領域に問題が出てきます。
たとえばアダルトチルドレンが牧師になって説教すると、どこがと言うのではないのですが、どこからか人を責めるような(神が人を責めるのではなく、人が人に恨みをぶつけるような責め方)匂いが出てきます。

アダルトチルドレンは子供時代に親の役目を果たさない養育者に代わって親の代理を務めさせられていた場合が多いのですが、子供ですから当然大人のようにはいきません。
それで常に自分自身に対して不全感を持つようになります。
それが原因となって、大人になっても「こうすればよかった。ああすればよかった」と常に自分を責めるテープが頭の中でグルグル回わっていることが多いです。

このようなアダルトチルドレンが信徒となって牧師の説教を聴くと、説教は少しも責めていないのに勝手に責められているように感じます。
これでは牧師と信徒が一緒になって「アダルトチルドレン・ゲーム」をやっているようなものです。

ありのパパが神学生のとき、いろいろな教会を訪問したのですが、その中に実の親に捨てられた経験を持つ牧師がおられました。
その牧師の説教はすさまじく人を責めるものでした。
聖書の言葉を使いますから、誰も否と言うことが出来ません。
しかしありのパパにははっきりと、その責めが出てくる場所が聖書ではなく、その牧師の生育歴にあることが分かりました。

4.回復の道はどこに?

私たちはどのように解放されていけば良いのでしょうか?
まさにバウロのように「私には自分自身が分かりません。私は自分がしたいことをではなく、したくないことを行っているのです。だれがこのような惨めな私を助けてくれるのでしょうか」と告白せざるを得ない者です。

しかし私たちはパウロと共に「このような訳で私は私自身を解放してくださった主イエス・キリストの故に感謝をささげます」と言うことが出来るのです。
この秘訣をご一緒に学んでまいりましょう。

◎平安と祝福を祈っています。

コメント

  1. ヒラぴゃん より:

    ありのパパさん、おはようございます。

    韓国教会と日本の教会の神学的な対比、興味深く読ませていただきました。
    改革派神学とメソジスト神学がその根底にあるという指摘は、なるほどと思いました。
    普段、私たちはあまり意識しませんが、神の主権と人間の自由意志の関係をどのようにとらえるかで、内面的な信仰生活だけでなく、外面的なことにも大きな影響が出てくるんですね。

    日本人は、昔から滅私奉公という言葉があるように、自分を犠牲にして、自分の使える主人に奉公するのが美徳という意識が強かったですから、それがクリスチャンの場合は教会に滅私奉公しますが、ノンクリスチャンのサラリーマンは会社に滅私奉公するので、会社と教会の両方に滅私奉公することはできないので、日本ではサラリーマンの多い男性にはクリスチャンが少ないのかな?なんてことも思いました。

    ところで、韓国の教会がなぜわずか半世紀のうちに人口の25%を占めるほど教勢を伸ばすことができたのか、パパさんの文章を読んで、なるほどと思わされたのですが、私は、それとは別の理由だと思っていました。それは、私が勝手に思ったことではなくて、本で読んだり、牧師先生から教えられたりしたことです。それは次のような理由です。

    (理由1)韓国は、戦前まで日本の帝国主義によって植民地とされていた。戦後になって、日本から解放されたとき、韓国の人たちは、旧約聖書の出エジプト記の出来事を自分たちの体験と重ね合わせた。だから、韓国の人たちの信仰の源は、日本に虐げられた経験と、そこから解放して下さった出エジプトの体験がある。←この説は、パパさんもご存知かもしれませんが、特にリベラル派においては広く受け入れられています。最近はあまり聞きませんが、今から20~30年前は、韓国の教会の神学というと、抑圧や搾取からの解放という「恨の神学」が主流だったと記憶しています。もっともリベラル派が言う韓国教会というのは、韓国のリベラル派教会(日本では、日本基督教団と協力関係を結んでいる在日大韓基督教会など)なので、とくにそのような面が強調されて伝わってきたのかも知れませんが。)

    (理由2)韓国の宗教(というか社会倫理)は昔から儒教が強かったけれど、それと平行して現世利益的なシャーマニズムも色濃くあった。現在の韓国キリスト教が教勢を急激に増加させている理由は、韓国人が無意識的に持っている現世利益的シャーマニズムを教会が利用して(意識的にかそうでないかは、私は知りませんが)、キリスト教を信じれば、これだけ利益があるよ、みたいな伝道が、韓国の国民性にマッチして教勢が伸びている、という説も聞いたことがあります。確かに、私も以前、どこかで「什一献金すれば、それは必ず何倍にもなって返ってくる。献金は銀行よりも確実で高利回りな投資だ」みたいな韓国人牧師の説教を読んだか、聞いた経験があります。

    上記の理由が全てではないでしょうが、リベラル派においては、韓国教会の成長の理由としてこれらの説が広く受け入れられているのは間違いないと思います。
    パパさんは、この説に対してどのように思われますか?

  2. ヒラぴゃん より:

    補足です。

    上記コメントの(理由1)の中で紹介して「恨の神学」は、「民衆(ミンジュン)の神学」という名称の方が一般的です。

  3. arinopapa より:

    ヒラぴゃんさん、こんにちは。

    その説明に疑義をはさむものではありませんが、私の感じたことを述べてみます。
    カウンセリングにおいて、クライアントの話を聴いて、問題の核心はどこにあるのかを探っていきます。
    その際、カウンセラーの数だけ、クライアントの見立てがあると言われます。
    肉体の場合ですと、そんなことはないのですが、心の問題ですと、目に見えませんから、本当に多くの理屈付けが可能となります。
    しかしその見立てが正しいかどうかは、その見立てに対応した対応策によって、そのクライアントが治るかどうかで決まります。
    逆に言えば、どんなに立派な見立てであっても、治ることに役立たなければどうしようもないのです。

    その前提で私の意見を申し上げますと、
    ①まずその見立ては、比較対照する余地があるかどうか。
    どういうことかと言いますと、その見立ては条件・環境に共通性がある外国に適用できるものかどうか。
    たとえば日本に適用できるかどうか。
    これが問題となります。
    合理的な解釈であれば、韓国だけでなく、似たような点を持つ外国にも適用できるはずです。

    ②どのような動機でその意見は主張されているか。
    だいぶ以前に、日本で大伝道者と言われていた方が書籍を出版されました。
    主題は「日本伝道はなぜうまくいかないのか?」というものでした。
    a.共産主義の影響
    b.偶像礼拝の影響
    c.物質主義の影響
    これらの三者がキリスト教の伝道に悪い影響を与えていると言うのです。
    私はこれを読んであきれてしまいました。
    なぜなら、それを認めることはキリスト教の福音自体の力のなさを認めるに等しいことだからです。
    翻って言うなら、神がそんなに非力な信仰をお与えになったということになり、神に対する不信であると感じました。
    これを言うに至った動機はやはり自己弁護ではないかと思われます。
    この韓国の教会が発展した理由付けを述べている方々の動機はどのようなものでしょうか。

    こんなことをつらつらと思いめぐらしてしまいました。
    ではまた。

  4. ヒラぴゃん より:

    ありのパパさん、こんにちは。
    返コメありがとうございます。

    そうですね、まず、ご指摘の①「その見立ては条件・環境に共通性がある外国に適用できるものかどうか」について・・・

    確かに、韓国のように被圧制から解放された国は世界中にたくさんあると思いますし、それら全てがキリスト教化されているのか、といえば、そうでない場合も多々あると思います。というか、韓国以外の具体例を挙げよと言われても、挙げられない自分が情けない。私の無知なのか、実際に韓国以外にはないのか、よくわかりません。もし韓国だけの現象だとしたら、一般化できない説明ということになりますね。あえていえば、国民性の違いということも要素としてあるかも競れませんが。

    ②「どのような動機でその意見は主張されているか」については、私がこの説を読んだのは、リベラル派の神学者によるものなので、多分に偏見のようなものは入っているかも知れません。確かに、動機づけが「偏見」というのはいただけないと思います。

    私が現在所属している福音派の教団にも、多くの韓国人の牧師先生がおられますが、それらの先生方が現世利益追求の信仰だとは思いません。その辺は、聞いた説をそのまま鵜呑みにするのではなく、自分で実際に裏をとる必要はあるなと思わされました。

  5. arinopapa より:

    以前に教会が成長している国を分析したことがありました。
    その前提には、リバイバルが起きている国には何らかの共通項があるということです。
    しかし面白いぐらいに、何の共通項もありませんでした。
    なにか、神様が笑っておられるような気がしました。
    その時の分類項目は、
    ①政治的な迫害はあるか。
    中国家の教会だけの環境でした。
    ②経済的な圧迫はあるか。
    アルゼンチン・リバイバルだけの環境でした。
    ③文化的な独自性はあるか。
    韓国教会だけの環境でした。

    要するに分析に値するようなものが何もないのです。
    このことから言えることは、日本に迫害が起きても中国家の教会のようにリバイバルしないばかりか、戦前の二の前になる可能性がある。
    経済的な大不況がやってきても、アルゼンチン・リバイバルのようなものは起きず、かえって教会の運営が行き詰まる可能性がある。
    日本独自の文化に適合する伝道を行ったとしても、韓国教会のように成長は望めず、かえって日本文化に埋没してしまう危険がある。
    というものでした。アホか!と自分に言ってしまいました。(笑)

  6. ヒラぴゃん より:

    ありのパパさん、こんばんは。

    なるほど。リバイバルに特別な人間的・社会的な共通要因がないという指摘にはハッとさせられました。

    信仰を机上の学問だけで捉えると、目に付いた現象を、ちょっとした自分の閃きとか思いつきと結び付けて定式化してしまう危険性はありますね。

    パパさんのコメントの最後の部分では思わず笑ってしまいました。
    でも、これが笑い事じゃすまないかも知れないと思うとゾッとしますね。

    私の方も笑い話をひとつ。

    以前、神学校の実践神学(アジア宣教論)の授業で韓国教会を取り上げたとき、アメリカ人の先生でしたが、「韓国の教会は祈る教会」「日本の教会は思考する教会(Thinking Church)」と言いました。すると、学生の一人が、「先生、日本の教会はスィンキングチャーチ(Thinking Church 思考する教会)じゃなくて、シンキングチャーチ(Sinking Church 沈みゆく教会)じゃないですか」と発言して教室中大笑いになったことがありました。でも実際にシンキングチャーチだったらシャレになりませんな。

    • arinopapa より:

      ヒラぴゃんさん、こんばんは。

      「おかしゅうて、おかしゅうて、やがて悲しき、わがこころ。」
      今日は神の愛をを本当には体験していないことが、問題の原因であるとの理解に基づいて文章を書きました。
      どうぞお読みください。
      またよろしければ是非コメントをお願いいたします。

  7. 岡田 より:

    こんばんは
    わたしの 体験では
    韓国は 教会単位 で 付き合った 場合は しんどいなあ ざついなあ と 感じた ことは かなり ありました

    ところが 個人単位で 友達に なると 日本人より コリアンのほうが ぼくは、 らくですね
    日本人と 怒鳴りあいをすると なかなか関係修復は 難しいのですが

    コリアンの場合 明くる朝 電話しで、 ゴメンなで 意外と あと ひきません かわいいなあと感じるとき ありますね

    韓国人の なんとかなるよの生き方 これいいかも 事実 ぼく自身も なんとか なってきました し これからも なんとか してくださるだろう 神さまに対し そんな 奇妙な 信頼が あります

    日本のクリスチャンも
    ケンチャナヨハレルヤ を 合い言葉に すると いいですね(笑)

  8. arinopapa より:

    岡田さん、こんばんは。

    私もそう思いますね。
    組織として相対すると、「こいつら、一体何者?」と思うのですが、個人の関係ですと、「あんた、なんでそんなにいい人なん!」と感じてました。

    日本人クリスチャンは(私も含めて)神の働きを自分の献身の度合いで決めてしまいがちです。

    韓国キリスト教から少なくとも「ケンチャナヨ精神」だけは学ぶ価値があると思います。

  9. Dr.D より:

    僕はカルヴァン系なのですが 超教派であつまる機会があるのでアルミニアンの説教をよくききます。

    アルミニアンの特徴である人間側の働きを強調する教理は精神疲労を抱えてる側から見れば 「がんばればできる」と言われてるみたいで重いですね。
    とくに自殺者の多い日本ではうつ病をかかえてる人多いですから「何もしない」シェルターが必要だと感じてます。

    韓国クリスチャンがいいかげんというのは分かりますね、僕らも適当なんです。
    それは人間には完全な働きや計画ができないと理解しているからなんですよ。
    (超教派のときの奉仕で「えっ?」って顔されます(苦笑) ・・教理が違うこと知らないんですね)

    そのような想いがあって 僕は神様の介入を忍耐を持って待ちます。

    • arinopapa より:

      Dr.Dさん、こんばんは。
      コメントありがとうございます。

      仰る通りであると思います。
      しかし不思議なことに、「ありのままで良い」とメッセージする教会もまた、アルミニアン系の教会に多いのです(笑)。
      どうもカルバン系は、心の問題に疎いのではないかという印象を持っています。
      如何お考えでしょうか?

      またコメントしてください。

  10. Dr.D より:

    ありのままで良いというアルミニアン系の教会に東京で出会ったことないです(苦笑)

    それから、国産のカルヴァン系の欠点は学問すぎて命がないと思う。

    しかし、米国系の帰国者向けの教会だと違いますよ。
    米国は日本よりストレスレベルが低いしカウンセリングを非常に大事にしているから、そのような文化の中のカルヴァン系だと心のケアをしっかりしていると思います。

    どう思いますか パパさん

  11. arinopapa より:

    Dr.Dさん、おはようございます。
    コメントありがとうございます。

    そうかもしれませんね。
    カウンセリングを大切にしているかどうかに、神学は余り関係ないかもしれません。

    またコメントしてください。

  12. くま より:

    ブログ内を「献身」というワードで検索したら、この記事に当たりました。

    今週中に献身(教職者としての任命を受ける)するかどうかの決断を牧師に報告しなければなりません。
    神様の為に人生を捧げたいと思い、教会で仕えています。
    でも、教職者となり「先生」と言われるのは、とても怖くて平安がありません。

    これは人をおそれているのは間違いありません。
    アダルトチルドレンとして、自覚しています。
    いつも誰かしらを責めています。
    自分も認められません。
    主の為に仕える努力もできていません。

    今まで、牧師や教会に言われたことは責任感の故に仕えさせていただきました。
    教会を離れたいと思う時、フルタイムで教会で働き始める時など、都度都度神様からのみことばをいただきながら、今に至ります。
    でも、教職者としてのみことばは受けていません。
    そして、心がこんな未熟な状態で就いてよいか分かりません。

    すばらしい職務に就かせていただきたいと思う反面、
    神様からのコーリングの確信がないことと、自分の愚かさや、クリスチャンとして未熟さのゆえお断りしようかと思います。

    今祈り、導きを求めています。
    アダルトチルドレンから、教職者になり、よい働きはできるのでしょうか?
    できるならば、失敗しないためのアドバイスなどいただけたらと思います。

    • ありのパパ より:

      こんばんは、くまさん。
      コメントをくださり、ありがとうございます。

      さて、くまさんヘの私なりのお答えを2015/09/22の当ブログに掲載いたします。
      どうぞ、お読みくださいますように。

      よろしくお願いします。