夫婦和合の秘訣を国際結婚のケースから学んでみる!!

夫婦和合の秘訣は万国共通です。
今回は夫が日本人、妻が中国系アメリカ人のカップルから学びます。

スポンサーリンク

1.夫が日本人、妻が外国人のケース

あるところで、結婚している婦人四人と同じく既婚の男性二人が集まりました。
婦人の内二名は外国人であり、一人は中国系アメリカ人、もう一人は中国人でした。

中国系アメリカ人の方はアメリカの教会で結婚式をする前に何週間もの結婚セミナーを受けられました。
その方が受けたセミナーは大変有用であったとのことです。
講師はその教会の牧師だったそうですが、その牧師は妻になるその方に向かって「世の中で夫ほど妻にほめられることを必要としている生き物はいないのですよ。ほめてほめて、ほめぬいてあげてください」と言われました。
そして感心なことにその婦人は言いつけを守って、ほめることを心がけたのでした。

その方が仰いますのに、思わぬ副産物があったそうです。
それはご主人もまた奥様をほめるようになったのでした。
奥様は「はい、幸せです」と言われました。
しかし、そうなるにはなかなか大変だったようです。

「このような場面ではこのように言ってほしい」「そのような言い方をされるととても傷つくのでやめてほしい。代わりにこのような表現であれば受け入れることが出来る」となるだけ具体的に、また感情的にならずに、情報を提供する態度でご主人を教育されたそうです。
ちなみに「教育」という言葉は私が使ったのではなく、その婦人がご自分で言われた言葉です。
まさに教育する心構えであったのですね。

しかし問題がまだ一つだけ残されているそうです。
それはご主人は英語が堪能であり「I love You」とは何回も言ってくれます。
でも日本語で「君を愛しているよ」とは決して言ってくれないのです。
理由を聴くと、照れくさいとのこと。

その婦人は私に「これは日本文化と日本語の特質でしょうか?」とお問いになられました。
私はこのようにお答えしました。
「いいえ、単にあなたのご主人に日本語での愛情表現の訓練が不足しているだけです。訓練あるのみです。力づくでも日本語で『愛してる』と言わせなさい」と焚(た)きつけておきました(笑)。

2.私たちも実践することができる!

今日は妻が外国人の場合を見てきましたが、このケースは成熟した信仰をもったクリスチャンの婦人です。
ですので同じ信仰を持っている私たち日本人にも、この婦人がおやりになられたことは可能です。
そのためには、

①相手と同じ目線に立つ

これは対等の関係を表しています。
下からモノを言っている限り、要求は要求として相手の心に届きません。
要求として届くのは、対等であるときだけです。
これは日本人の婦人には微妙に難しいことです。
なぜなら日本人女性は自分の要求を通すときに下手に出て甘えるような頼み方をするように躾(しつ)けられているからです。
対等の関係になるには、この部分を克服する必要があります。

②要求を泣き言・愚痴として言わない

①に関係していますが、自分の願いを愚痴や泣き言として言っている限り、いつまでたっても実現しないでしょう。
ですから「あなたはいつもこうなんだから」とか「あなたはわたしがこんなに苦労しているのに、もう〜」とかは禁句です。

③妻も夫を愛していると言う必要がある

妻も夫に「愛してる」とか「頼りにしている」とか「あなたと結婚できて良かった」とシャワーのように言葉を降り注ぐ必要があります。
そうすると自分が降り注いだ十分の一ぐらいが夫から返ってきます。
不公平だと思わないでください。人間関係なんて、こんなものです(笑)。

このようにお話をしているとご婦人方の目がだんだんと希望に輝いてくるのが手にとるようにわかりました。
奥様方よ、幸せになってください。
ご主人方よ、苦労してください(笑)。

◎平安と祝福を祈っています。

コメント

  1. ヒラぴゃん より:

    ありのパパさん、おはようございます。

    夫婦の関係というのは本当に難しいものですね。
    結婚するときは、お互いが好きになって(なったような気がして)一緒になったはずなのに、実際に結婚して毎日顔を合わせて暮らしていると、アバタは「エクボ」ではなく、やっぱり「アバタ」のままであることに気づかされたり、相手が自分の主義主張をはっきりと言うとき、結婚前は「おお、この人は自分自身というものをはっきりと持っている自立した人だ」と感心したのが、結婚後は単なる我儘や自己中にしか思えなくなったり(笑)。

    お互いがそうなると、夫婦が相手を認めあったり、尊敬しあったりというのは理想で、実際には夫婦喧嘩が絶えなくなってしまって、それがまた積み重なって夫婦喧嘩する・・・・悪循環だと分かっていてもどうしようもなくて、結婚して数年すると、もはや「夫婦愛」ではなく「人類愛」によって何とか一緒に暮らしているようなものです。他の夫婦がそうだとは断言できませんが。中には三浦綾子さん、光世さん夫妻のような理想的な夫婦もおられるようなので(笑)

    私と妻が、結婚したいと牧師先生に申し出たとき(ちなみに当時、二人とも教会員で青年会のメンバー)、牧師先生は一言「いったいなぜ君たちは結婚したいの?結婚する理由はなに? 愛しあっているからという理由だけで結婚しても長続きしないよ。人間同士の愛はいつかさめるものだからね」とニベもない返事。

    「それじゃあ、先生はどうして結婚したんですか?」と尋ねたら、「私たちは伝道するために結婚したんです」とキッパリ言われてしまい、次の言葉が出てきませんでした。

    今から考えると、牧師先生は何も意地悪で言ったのではないことは分かりますが、当時の私たちはショックでした。でも結局、先生に言われたことは真実を突いているなとしみじみ思わされる昨今です。

    私の妻の持論は「日本だけでなく、この世は男性中心の社会だ。すべてが男性中心に回っている。それがどれだけ不公平か、男は一度、女に生まれてみるといい」

    それで私が、からかい半分に「だってパウロは、妻たる者よ、夫に従いなさい」と言っているじゃないか。お前もクリスチャンなら、聖書に従えよ」と言いますと、ムキになって「聖書に書いてあるからそのまま従えなんて、そもそも聖書は男性中心の立場で書かれたものなんだから、そんな言いつけに素直に従うことなんかできるわけないでしょ。あんたが女になって、従がえばいいのよ。できるもんならやってみなさい!」

    「だから、私、こんなこと言うパウロって大嫌い!」

    普段、私は聖書を「解釈して」「非神話化」して読むなんて言っていますが、妻とこんな「口論」する時だけは、「聖書をそのまま素直に読む」ことで、妻をやりこめようとします(本気じゃないんですけどね)。そうすると、妻はそのジョーク(?)が理解できずに、ますます怒り狂う。

    くれぐれも聖書を冗談のネタにしてはいけません(汗)

  2. arinopapa より:

    ヒラぴゃんさん、こんばんは。

    福音派信徒の奥さんたちは「従順」という言葉を間違って理解し、抑圧されてきました。
    もっとも気の強い奥さんは、ご主人に「同様に聖書には妻を愛しなさいと書いてあるから、まず私がよしとするような愛し方をしなさい。」と言う方もおられますが。
    しかし多くの福音派信徒の女性たちは、この箇所を苦手な部分として受け取ってきたようです。

    ヒラぴゃんさんのその当時の牧師の言葉に感動いたしました。
    あぁ、確かにそうだなと納得しました。
    牧師夫婦はそうでないとうまくやっていくことは出来ないと思います。

    奥様の「そもそも聖書は男性中心の立場で書かれたものなんだから、そんな言いつけに素直に従うことなんかできるわけない。」との言葉はとても神学的な言葉だなと変なところで感心してしまいました。
    これが福音派神学の場合は、ではどのように現代に適用すれば良いのかと腐心しなければならないのです。