ユダヤ教ナザレ派がキリスト教になった日

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1.キリスト教が誕生したときの姿は?

キリスト教が生まれたばかりのとき、私たちが知っているような姿ではありませんでした。
多分ユダヤ人クリスチャンは土曜日にユダヤ教の礼拝に参加し、日曜日には主の復活を記念して共に集まり、愛餐をしていたと思われます。
救いの恵みに活かされて、毎日の生活を過ごすうちに、『古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました』となるのが一般的なクリスチャン生活です。
信仰生活初期は律法に拘泥されることはいたしかたないことではありますが、福音の恵みに活かされて日々過ごすうちに律法主義から解放されていくことが期待されているのです。
しかし古い習慣があまりに強い力をもって私たちを縛っている場合、そうならないときがあります。
エルサレム教会がまさにそうでした。
エルサレム教会はペンテコステの経験をもって宣教をスタートさせ、規模においても、影響力においても、その力は増大していきました。
しかし思いもよらぬことが起き始めていました。
『兄弟よ。ご承知のように、ユダヤ人の中で信仰にはいっている者は幾万となくありますが、みな律法に熱心な人たちです』(使徒 21:20)
何万人ものユダヤ人が入信したにもかかわらず、入信後もユダヤ人の慣習とともに律法を守ることをやめなかったというのです。

①初代教会の二つの流れ

このことは深刻な危機感を教会指導者に与えたと思います。

この危機感を背景にして、ヘブル人への手紙が書かれたと考えるべきでしょう。
パウロのように福音のみによって歩みを進める人と、エルサレム教会のように福音と律法の両方によって歩みを進める人々に、キリスト教は分裂していったようです。
もちろんこれは分裂と言っても、片方だけが真実であり、もう片方はやがては古巣のユダヤ教に戻って行き、キリスト教としては消えていく運命にありました。

②この世に迎合するなら迫害は止む

問題は、エルサレム教会の牧師であったヤコブが、入信後も律法を守ることをやめない信徒たちをベテロのようには指導せず、かえってそのような信者を恐れるようになったことでしょう。
その結果、ユダヤ人からは認められる存在となりました。
ただしそれは「ユダヤ教ナザレ派」としてです。(使徒の働き24:5)
そして迫害はやみました。
もしかしたらユダヤ人信者の律法的行為をやめさせないことが、迫害されない条件であったため、ヤコブ牧師を始めとする教会指導者は沈黙したのかもしれません。
しかしこの沈黙は神に見捨てられるに十分な決断でした。

この同じ時期にパウロは捕らえられたのですが、不思議なことにエルサレム教会のお膝元で起きた事件であるにもかかわらず、エルサレム教会は完全に沈黙しています。
パウロは自分の信じる信仰をあえて「ユダヤ教ナザレ派」と呼ばず、「彼らが異端と呼んでいるこの道」と言いました。
まさにこの日がユダヤ教ナザレ派がキリスト教になった日と言えるかもしれません。

③全てを支配しておられる神のご計画

これは人間的なレベルでみるならば、キリスト教が旧守派と福音派に分裂しつつあったと見ることができますが、実はそうではありません。
エルサレム教会がユダヤ教ナザレ派にとどまったように、キリスト教全体がそうしていたとすれば、キリスト教は現在存在していなかったことでしょう。
そうならないために、御子の贖いの十字架の御業を無にしないために、人類に与えられた救いの道をふさいでしまわないために、神がこの計画を主導されたと考えるべきでしょう。

2.これを現代に適用するとどうなる?

この文章を書いているときに二つのことが思い浮かびました。

一つは我が国のキリスト教です。

キリスト教会が「日本教キリスト派」と呼ばれて久しいです。
わたしたちの国のキリスト教が「彼らが異端と呼んでいるこの道」と自分を呼ぶ日が来るのはいつのことでしょうか。
キリスト教会が「日本教キリスト派」と呼ばれているうちは、我が国のキリスト教の未来は非常に暗いと言わなければなりません。

二つ目はペンテコステ運動の母体となったホーリネス系教会のことです。

異言を決して認めようとせず、異言を語る者たちを教団から追い出しました。
現在ペンテコステ運動は一つの教派を形づくるのみならず、プロテスタント最大の教派となりました。
一方のホーリネス運動はどうなったかと言えば、今でも活発な教団として知られてはいるものの、福音派の優等生的存在となっており、ウェスレーがメソジスト運動を開始した当時、嵐のような反対と迫害にあったことを考えると、あまりの扱いの変わりように驚くばかりです。
どうしてでしょうか?
主張が受け入れられたからでしょうか。
それとも・・・・・

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コメント

  1. ヒラぴゃん より:

    ありのパパさん、おはようございます。
    今日も一日、主の祝福に満ちた喜ばしい日とんりますように。

    今回も興味深いテーマを提示してくださり、ありがとうございます。
    ありのパパさんはずいぶんと勉強家ですね。
    また、知識を単なる知識としないで、そこから思索を深めていく姿勢を私も見習いたいと思います。

    ところで、いつもいちゃもんをつけて申し訳ないのですが、「いちゃもん」から議論が始まるということで、何卒お許しください。

    今回のお話の前提となっているのは、いわゆる「エルサレム教会」のことですね。
    確かに、主の兄弟ヤコブが牧するエルサレム教会(ユダヤ人教会)と、パウロを中心とするアンテオケ教会(異邦人教会)では、その信仰のあり方に大きな違いがありました。一応、使徒15章のエルサレム会議において、両者の歩み寄りがなされていますが、パパさんの言われるように、エルサレム教会はユダヤ教を色濃く引きずっていたということに異論はありません。
    ただ、エルサレム教会がユダヤ教指導者におもねって、ユダヤ教的キリスト教としての道を選び、その結果、ユダヤ人からの迫害がやんだ、といのは少し事実と異なるのではないかと思います。
    パウロが殉教の死をとげたのは紀元65年頃だと言われていますが、それに先立つ紀元62年頃に、エルサレム教会の指導者であった「主の兄弟ヤコブ」は、ユダヤ人の手で殺され、殉教の死を遂げているからです。

    このことについては、エウセビウスが「教会史」として記録を残していますので、その箇所を引用します。

    「・・・・ユダヤ人どもは、ヒエロソリュマ(エルサレム)の監督職の座を使徒たちから受けた主の兄弟ヤコーボス(ヤコブ)に攻撃の鉾先を向けた。・・・・彼らはヤコーボスを人々の中に引きずり出すと、すべての民の前で、クリストス(キリスト)への信仰を否認するように要求した。しかし、彼がすべての人々の予想に反し、はっきりした声と意想外の勇気によって、すべての群集の前で、わたしたちの救い主にして主であるイエースース(イエス)が神の子である、と告白した。・・・そこで彼らは彼を殺した。・・・ヤコブの最後のありさまは、すでに引用したクレーメース(クレメンス)の言葉によって示された。彼は、ヤコーボスが胸壁から落とされ、棍棒で打たれて死んだ、と言っている。使徒たちの継承の第一世代に属するヘーゲーシッポスは『ヒュポムネーマタ』の第五巻の中で次のように述べ、ヤコーボスについてもっとも詳細に語っている。・・・・彼らは上っていくと、義人(ヤコブ)を投げ落とした。そして彼らは互いに言った。「さあ、義人ヤコーボスを石打ちにするのだ」彼が落とされても死ななかったので、彼らは石を投げはじめた。しかし彼は振り向き、跪いて言った。「主よ、神よ、父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは、自分たちが何をしているのか分からないのです」・・・彼らの中にいた縮紱工の一人が、布を打つ棒で義人の頭を打った。義人はこうして殉教した」

    また、エルサレム教会の行く末については、聖書には書かれていませんが、歴史の記録では、紀元66年にユダヤ人によるローマへの反乱が起きたとき、エルサレム教会はユダヤ人たちとの関係を絶つためにエルサレムを去り、ヨルダン川東岸のペラに移住したようです。(結局、その地で発展することなく歴史から消えてしまうわけですが・・・)

    パパさんが言われるように、確かにユダヤ教を引きずったエルサレム教会は歴史から消え、残って発展したのは異邦人教会だったのですが、事実はこのようにパパさんの認識とは多少違っています。この点だけ、確認する必要があるかな、と思いコメントを書かせていただきました。

  2. ヒラぴゃん より:

    パパさん。
    私のコメントの最初の挨拶で誤字がありました。
    「喜ばしい日とんりますように。」は、「なりますように」です。失礼。

    それと先ほど書き忘れたのですが、エウセビウスからの引用の中にこうあります。

    「しかし、彼がすべての人々の予想に反し、はっきりした声と意想外の勇気によって、すべての群集の前で、わたしたちの救い主にして主であるイエースース(イエス)が神の子である、と告白した。」

    ここを読むと、人々はヤコブがイエス・キリストを否認すると考えていたようです。「しかし」予想に反してヤコブは信仰を貫いた。

    そう考えると、パパさんが言われるように、ヤコブ(そしてヤコブが牧するエルサレム教会)は、キリスト教の信仰としてはパウロほど強くなかったのかも知れませんね。

    • arinopapa より:

      ヒラぴゃん、こんにちは。
      コメントありがとうございます。

      今日の文章には、聖書に記載された事項と歴史的な文書に残された事項を私が個人的に掛け合わせて作り出した結論であるという面があります。
      ですので仰る通り、その導き出した結論に同意できないものをお感じになるのは、ある意味当然かと思います。

      と言ってしまって終わっては身も蓋もないので、追記といいますか、さらに自分の考えを述べてみたいと思います。

      私のこの文章の中にあるテーマは、「二つのものを握っていては、結局一番大事なものを失ってしまう」というものです。
      そして相矛盾する二つのものを握ってしまうのは、本質を考慮せず、慣習という名の「人の顔を恐れる」心に支配されてしまっているからだというものです。

      この場合で言えば、
      ①救われるために与えられた律法ではあるが、結局律法によっては救いに到達し得ないことを知り、父である神が御子イエスを人類にお与えくださった福音による救いによらなければ誰も救われることが出来ないことを知った。

      ②その故に律法による救いではなく、十字架による救いに身を委ねた。

      ③1と2を正しく理解しているなら、福音を信じた後の行動は決まってきます。
      即ち、律法を捨てて、福音にのみ生きる人生ということです。

      これがいつの時代においてもキリスト教徒の最大の問題であると私は認識しております。
      それでパウロはガラテヤ人への手紙を書き、バルナバかヤコプか、もしくはそれ以外の人がヘブル人への手紙を書いたと思われます。

      これらの手紙の訴えは一つであり、それは「恐れるな。福音の道を歩み続けよ。」というものです。

      ヤコブが立派な信仰を持っていたことを疑うものではないのです。
      ただ、あれを考慮し、これを心配しと辻褄を合わせているうちに、みこころから遠く離れたところにいる自分に気づいたときは遅かったということにならないためには、どうしたら良いかということを考えているだけなのです。

      誰よりも福音の本質を理解していたはずなのに、なぜキリスト信仰に入ったユダヤ人に律法を守ることを止めるように勧めなかったのかという一点において、私は(個人的には)ヤコブは責められるべきであると考えています。

      しかし鍵は人を責めてそれで良しとすることではなく、日本の教会はそこから何を学ばなければならないのかということです。

      第一に戦前・戦中の日本基督教団の失敗があります。
      様々な状況を考慮しているうちに、とんでもない罪を犯してしまいました。
      これはリベラル派教会だけの問題ではありません。
      同じように福音派教会も罪を犯しました。
      (しかし戦後、福音派教会はその罪を恥じ、教団を離脱しましたが、リベラル派教会はそうしなかったという点は残ります。)

      この問題はキリスト教会の歴史を貫いている問題ではないかと思うのです。
      ですからキリスト教が極端に不振である日本において、この問題が最重要ではないかと考えています。

      ○ヤコブの最期について教えていただき、ありがとうございました。
      ただの状況主義者ではなかったのですね。

  3. arinopapa より:

    すいません。今本文を読み返しましたら、コメントと同じことを書いていました。
    重複もいいところ!年取ったなぁ。お許しくださいませ。

    午後からの働きにも、神様からの平安と祝福がともにありますように祈ります。

  4. arinopapa より:

    追記の追記です。
    ヒラぴゃんさんのコメントをもう一度読んでおりましたら、大切な部分を読み落としていることを気づきました。

    ヒラぴゃんの仰りたいことは要するに、ヤコブをはじめとするエルサレム教会は迫害がいやで妥協したのではないということですよね。

    私が一番問題に感じるのは、パウロが捕らえられたときヤコブをはじめとするエルサレム教会は、パウロに助けの手を差し伸べていないことです。
    パウロが「みんな私から離れていきました。」とある通りです。

    戦前のホーリネス教会の弾圧、美濃ミッションの日曜学校生徒の神社参拝拒否のとき、日本の教会はエルサレム教会と同じか、それよりもひどい対応をしました。
    美濃ミッションのときには福音派教会も同じ対応でした。
    恐れに心を支配され、同信の兄弟姉妹を裏切ったのです。
    決して忘れてはならない歴史の事実です。

    私はこの問題とエルサレム教会の対応を重ね合わせざるを得ないのです。
    それで事実とはちがう方向に踏み込みすぎたかもしれません。
    この点については、よく考えてみたいと思います。
    ご指摘を感謝します。

  5. ヒラぴゃん より:

    ありのパパさん、こんにちは。
    今、仕事が終わって帰宅しました。
    世俗の仕事で疲れて帰宅した後、こうしてクリスチャン同士の語らいができるというのは何という恵みでしょうか。一日の疲れもふきとびます。感謝!感謝!!

    さて、今回のブログで、パパさんがおっしゃりたい事は、「二つのものを握っていては、結局一番大事なものを失ってしまう」ということ。了解です。
    確かにそうですよね。その点は異論ありません。
    ですから、今回の私の指摘は、中心テーマから外れたものだったかな、という危惧は自分でも持っていました。
    重箱の隅をつつくような指摘をしてしまったかも知れません。お許し下さい。

    あと、返信の中で、福音派は戦後、日本基督教団から離脱したけれど、リベラル派は、そのまま教団に留まったということにパパさんは引っかかりを感じておられるようですね。まあ、気持は分からないでもありません(笑)
    しかし、教団を擁護するわけではありませんが、教団に残った教会は、戦時中の教団の誤りに無感覚だったから残留したというわけでもないと私は思うのです。(まあ、パパさんの言われるような面がまったく無かったとは言いませんが)

    私は、日本基督教団に残った教会は、教団が犯した罪を、教団から出ることで清算するのではなくて、むしろ、そこに留まり続けることで、その罪を負おうとしたのではないかと思うのです。教団合同のとき、合同の手続きはいわゆるリベラルの教派によって主導され、福音派のほとんどの教派は、何が何だか分からないうちに合同させられた、という被害者意識があったのだと思います。ですから、戦後になって宗教団体法が廃止されたとき、福音派の多くが教団を離脱したのはよく分かります。しかし、教団合同を主導したリベラル派は、自分たちが主体となって行なったことの罪の重さを当事者として感じていたのではないかと思います。少なくとも、私はそう信じたい。
    教団は戦時中に犯した罪のゆえに、60年代後半に起きた教団紛争に巻き込まれ、いまだにその傷から癒えていない状態です。いわゆる社会派と教会派のいさかいは現在でも続いています。しかし、その傷の痛みによって、教団が新生への道を見出して行くのか、それは歴史の流れの中で、終末論的な課題としてまだ答えが見出せない状態なのではないかと思うのです。
    今「終末論的な課題」と言いましたが、私は、教団のこの問題はまさに、終わりのときの究極的な解決が与えられるまで続く永遠の課題だと思います。
    戦時中の教団の罪は大きなものであり、人間にはつぐなえないものだと思いますが、それだからこそ、そこに主イエスの十字架が立っているのだと思います。この主の十字架のゆえに、日本基督教団は罪ある人間の教会として、しかし、逆説的ではありますが、それゆえに、主の教会の枝として終末を待ち望む群れとして生かされているのだと思うのです。

  6. arinopapa より:

    ヒラぴゃん、こんばんは。
    お仕事ご苦労さまです。

    私も今日自分の仕事をしながら、「リベラル派キリスト教も福音派と変わらないな。聖書観がちがうのですべての問題について議論をし、すり合わせをしないといけない面倒さはあるけれど。」と、思ったことでした。
    このように思うことが出来たのは、ヒラぴゃんさんのおかげです。

    で、それはそれとして納得いかない点がありましたので早速ですが質問いたします。
    その前に申し上げなければならないことがあります。
    そうでなければフェアーではありませんから。
    福音派が戦後、教団を離脱したのはアメリカから宣教師団が復帰してからでした。
    その理由はまぎれもなく援助金目的でした。
    宣教師団が復帰するまでは教団のララ物資をあてにし、復帰してからは援助金をあてにしました。
    戦前教団に統合したのは恐怖感からであり、戦後離脱したのは経済的援助が理由でした。
    戦争が終わってすぐに信仰的理由から教団を離脱したのはごくわずかの牧師にすぎません。(そのせいかどうかは知りませんが、その方は戦後キリスト教会の指導者になられました。何十年も経ってからもアメリカからの宣教師にその名前を言うと顔色が変わりました。)
    これが福音派の実情ですから、リベラル派キリスト教を責めても、決して「私は正しい人、あなたは間違った人」と考えているわけではないことを明らかにしておきます。
    前置きが長くなりました。

    >私は、日本基督教団に残った教会は、教団が犯した罪を、教団から出ることで清算するのではなくて、むしろ、そこに留まり続けることで、その罪を負おうとしたのではないかと思うのです。(引用ここまで)

    そのような罪の贖いはあり得ません。
    あるのは二つであり、一つは原状を回復することであり、二つは悔い改めです。
    北朝鮮がドイツの国民を誘拐したとき、ドイツ政府は原状回復を求めて絶対に妥協しませんでした。
    妥協できる問題ではなかったからです。
    教団問題もこれと同じです。
    二つ目の悔い改めですが、教団の戦争責任告白のどこを見ても偶像礼拝の罪・異教徒の言いなりになって主の教会を汚したことの悔い改めについての言及は全くありませんでした。
    これほどの不真実な態度はないと思います。

    >戦時中の教団の罪は大きなものであり、人間にはつぐなえないものだと思いますが、それだからこそ、そこに主イエスの十字架が立っているのだと思います。(引用ここまで)

    私たちに要求されていることは、つぐない=あがないではありません。
    そうではなく、悔い改めです。悔い改めこそが要求されているのです。

    ○部外者が言えることは、ここまでです。
    同じ思いに立ったいただくことが出来ますならば大きな喜びではありますが、そこまで期待するのは期待が過ぎるというものだと思います。
    わたしの願いはレスポンスです。
    福音派の本音を知っていただき、そして私はリベラル派の本音を知りたいのです。
    そのようにして理解を深めていくことが出来るなら、いつかはわだかまりが溶ける日が来るのではないかと期待するものです。

    ではお休みなさい。

  7. ヒラぴゃん より:

    ありのパパさん、こんばんは。
    お返事ありがとうございます。
    深く考えさせられました。
    日本基督教団の戦争責任告白についても、改めて読み直してみました。

    確かに、この戦責告白で懺悔しているのは、教団が戦争に加担したこと、世の光、地の塩としての役目を果たさず、見張りの使命をないがしろにしたことであって、パパさんが言われるように偶像礼拝の罪を犯したことへの直接の言及はありませんね。このことはパパさんから指摘されるまで気づきませんでした。
    恥ずかしいことです。

    パパさんが、福音派の教団加入と離脱における人間的な弱さを正直に告白されたように、リベラル派も、自分たちの過去を正直に見直し、悔い改めるべきことを神と人の前で悔い改めるべきだなあと思わされました。

    今回は、なかなか重いテーマでした。

    自分では本音を語っているつもりが、やはり人の目を気にして良い格好しいの自分が出てしまうことを思い知らされた感じです。恥ずかしい。

    このことを気づかせてくれて本当にありがとうございました。

    これからもよろしくお願いします。

    主に在って。

  8. arinopapa より:

    ヒラぴゃんさんのコメントはいつも真実で本音にあふれております。
    こちらがおののくほどです。(普段は建前で生きておりますので。(笑))

    言葉足らずで、誤解させてしまったようで申し訳ありません。
    これからも今までどおり本音でおねがいしますということを申し上げたかったのです。

    このコメントに応答は不要です。

  9. 岡田 より:

    こんにちは いつも内容の濃い ご執筆 感謝します

    正直こんな ことは 考えたことも、ありませんでした‥ヤコブ牧師とは ヤコブの手紙を書いた あのヤコブですよね

    ヤコブだけではなしに
    律法を守るクリスチャンの目を 恐れ 異邦人クリスチャンとの食事会をしなくなった ペテロ バルナバも、パウロから えらく 叱らていますよね
    七割クリスチャン三割ユダヤ教徒で、生きるのはものすごく、不自由ですよね

    本心では 異邦人のお友達と いっしょに、豚まんや、トンカツが食べたいのに、宗教的に裁かれるのが こわくて逃げ出してしまった

    しかもペテロさんは、使徒行伝のなかで、神さまから、もうトンカツ食べてもいいよ という啓示までいただいているのに
    ガラテヤのなかで、パウロは本気で怒っています
    みんな ボクのように
    十割クリスチャンに、 なってくれと、だんだん哀願調になっていますよね

    パウロさんは ガチユダヤ教でしたが 同時に国際感覚も 豊かだっのかもしれませんね 信仰頭の 切り替えも早くできたのでグローバルフットワークも軽い

    神さまも 異邦人ミッションに 最適だと おもわれたのだと かんじます
    ヤコブさんは なかなか 思慮深い重厚長大な ふいんきの かただったのですかね
    それとも ただたんに 揉め事のきらいな 気の 小さい おじさんだったのかは よくわかりません。

  10. arinopapa より:

    岡田さん、こんばんは。
    これがキリスト教の全歴史にわたる問題ではないでしょうかね。
    いつも人はここで躓くように感じています。
    ヤコブ牧師は最期は殉教の死を遂げたことを「ヒラぴゃん」さんに教えていただきました。
    ですので「気の小さいおっちゃん」ではなかったと思うのですよ。
    なんとか教会をつぶしたくないという一念ではなかったかと推測します。
    しかしここから学べる教訓はたとえ大使徒であっても判断を誤ることがあり得るということです。
    聖書に忠実に、絶えず祈って導きをいただいて、パウロのような一見過激な意見の持ち主にも耳を傾けるということが必要だったと思います。

  11. コル より:

    ありのパパさん、おはようございます。よい聖日を送られますように。
    さて、週の初めから質問で恐縮です。文章の中で気になる箇所がありましたのでお尋ねします。ありのパパさんの言われる
    ①「日本教キリスト派」とはどのような意味ですか?
    イザヤベンダサンが「日本人とユダヤ人」(1970年出版)の中で述べている「日本教徒キリスト派」のことを意味しているのでしょうか?
     イザヤベンダサンのいう意味でのそれは、日本人独特の思考、「人間」とか「人間味あふれる」とかでとらえられるところの感覚をもった人々で改宗したキリスト教徒をさしていると思います。「人間」とか「人間味あふれる」というとらえは勝海舟や西郷隆盛を研究するのがよいとイザヤベンダサンはいっていたように思います。彼はパウロをユダヤ教キリスト派と呼んでいます。その意味での日本人のクリスチャンということでしょうか?
     私が思うに一人の人間が主を信じることで、救われ、新しく生まれるわけですが、新しいものが生まれると同時に古いものは新しい意味をもつのではないかと。
     例えばパウロのキリスト以前は、キリストにあってきよめられ、意味をもった、つまり律法を守ろうとしていた生き方は、律法の目的を主イエス様が十字架により達したことにより無意味なものとなったのではなく、かえって意味をもたされたのではないかと。パリサイ派のガマリエルのもとで学んだ知識は塵芥であったわけですが、パウロの論理や宣教に必要な知識であり、福音をユダヤから世界へと拡げるのに必要なものであったと思うのです。それが主にきよめられ用いられたとのだと思います。
    ヘブル人への手紙などはまさにそれを示しています。
     同様にそれは多様な文化や国籍の中で起こる改宗にもいえるのではないかと思うのです。キスやハグが私たち日本人のキリスト教徒になじまないのは、私たちが「新しいもの」になりきっていないのではなく、きよめられたところの日本的感覚や文化にあわないからではないでしょうか。ユダヤ的思考と日本的思考のギャップはいかんともしがたい部分があると思います。そして「日本教キリスト派」であればこそ福音を日本人につたえられるのではとも思うのですが。
     ありのパパさんが『キリスト教会が日本教キリスト派」と呼ばれているうちは我が国のキリスト教の未来は非常に暗いと言わなければなりません。』とおっしゃっている内容は教会がどのような姿で、信仰者の姿がどのようであるうちは未来が暗いと思われるのでしょうか?具体的に教えていただけるとうれしいです。ハードな質問ですみません。
     できれば明るい未来を描きつつ信仰生活を送りたいと思います。是非教えてください。

  12. arinopapa より:

    コルさん、おはようございます。
    ハードな質問、ありがとうございます。(笑)
    月曜日にアップする予定の文章に、そのことについて書きましたので、お読みいただけると幸いです。
    (日本教キリスト派についての新しい視点をいただきました。実は考えても見ませんでした。)
    では良き聖日をお過ごしください。

  13. arinopapa より:

    追記です。
    コルさんのお名前は出していませんが、コルさんとのやりとりの中で、気づきを与えられたと記しておきました。
    このようにして思いもよらぬ気づきが与えられることは本当に大きな喜びです。
    これからもよろしくお願いします