手段と目的を取り違えると大変なことになる

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①目標と目的はちがうもの

ありのパパがインターンのとき、奉仕していた教会の牧師はこう言いました。
「日本では教会成長の目標を掲げると、それが目的化してしまうから、決して目標を掲げてはならない」
この牧師は教会成長運動の主導者の一人としてキリスト教界では見られていた人物でしたので、ありのパパは内心訝(いぶか)りました。
しかし大分経ってから、これが真実であることを納得しました。
なぜなら目標を掲げたありのパパ自身が、目標を目的化するという過ちを犯したからです。

②アダルトチルドレンは目標を目的化しがち

ありのパパは子供の頃から、目標と目的のちがいを理解することに大変困難を感じていました。
「どっちもおんなじやん。」というのが率直な感想でした。
アダルト・チルドレンは手段・目標を目的化してしまうものなのです。
これが日本という国では一般的に陥りやすい間違いであることを見ると、私たちの国にはアダルト・チルドレンが大変多いのではないかという気がします。

③大学入学は目標か目的か?

大学に入ることが勉強することの目的となっているわが国では、入学後の期間は言ってみれば「おまけ」ですから社会も親たちも生暖かい目で学生たちを見ることになります。
これに対してアメリカでは、そんなことにはなりません。
大部分の学生に入学した目的と卒業後のビジョンがありますから、学生時代にすることが明確です。
先日、アップルとマイクロソフトを創設した二人のインタビュー記事を読みました。
パソコン産業において、日本がアメリカに太刀打ちできなかった理由を、そこに見ることが出来ました。
(詳しいことは書きませんが、大変示唆に富む内容でしたので、youtubeで見ることが出来、またインタビューを翻訳したブログなどを検索するとすぐに見つけることが出来ますので、ご覧になることをお勧めします)

④目的を持っていきる生き方は自覚的生き方

日本人は人生そのものを生きているだけで儲けものであり、あとはおまけであるという考えがあるのではないでしょうか。
美空ひばりさんの「川の流れ」が国民的ヒット言えるほど愛されたのも、自覚的に生きるよりも、流されて生きる人生観を反映しているのかもしれません。
アメリカ人ですと「(実現するかどうかは別にして)私がこの世に生まれてきたのは、これをするためである。」との自覚が強いように見受けられます。
宣教師と接しているので、なおのことそのように感じるのかもしれません。

⑤目標を導入するとどうなるか?

漠然と生きるといいますか、良く言うと自然体で生きるのが当たり前の日本人に、目標を掲げて前進するという欧米の思考パターンを適用するとどうなるでしょうか?
これが企業などですと、面従腹背(めいじゅうふくはい)で会議では「はい、わかりました」と答え、会議が終わると「ばっかじゃないの。こんなのできるわけないじゃないか!」と飲み屋で愚痴の言い合い、上司の悪口の言い合いになります。

しかし遊びのない教会ですと、これはかなり深刻な結果を生み出してしまうこともあるようです。
本当に死ぬまで頑張ったり、精神に異常をきたすまで追い込まれたりします。
教会も面従腹背を導入するか、本音と建前を導入するべきでしょうか。(今でも十分導入されているという意見もありますが)(笑)。
教会が神様に従う集団である以上、これは難しいと思います。
そうすると日本人クリスチャンの国民性が変わってしまわないかぎりは、教会に目標を導入するべきではないということになります。

◎ちなみに冒頭の教会は、今も一切目標を掲げるということをしていませんが、その地域で最も規模の大きい教会であるようです。(大きいことが良い事だといっているのではありません。成長を目指すとしても具体的目標を掲げない方が有効であると言いたいのです)

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