正しい愛国心とは

神道原理主義者だけでなく、クリスチャンを自称する者の中からも、間違った愛国心を強調する者たちが現れてきました。

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1.妄想と捏造の歴史観を持つ者

彼らは何を血迷ったか、真顔で「クリスチャンとして平和を愛することは当然であるが、過去に我が国が犯してきた侵略戦争は間違っていなかった」と言います。
それは戦前、神道原理主義政府によって強制的に統合された日本基督教団が、政府の侵略政策のお先棒をかついで、韓国まで出向き、神社参拝は偶像礼拝でないとでたらめを言ったり、ホーリネス教会弾圧のとき、政府の側に立っていかにホーリネス教会がおかしな教会であるかを力説したことを髣髴(ほうふつ)とさせます。

2.歴史修正主義者は妄想性人格障害か?

ありのパパは彼らの主張に対して詳細に反論しようとしたことがあります。
しかし途中でやめました。
それは彼らの主張があまりに病的、表面的、小児病的であったからです。
彼らの主張に反論を加えたところで、彼らは間違いを認めないことが明らかです。

この問題の本質はもっと別のところにあると思います。
ありのパパは彼らは「妄想性人格障害」の疑いが強いと思っています。
ではなぜこのような者たちがキリスト教会の中に入り込むにいたったのでしょうか?
それは悔い改めを指導されることなく入信してしまったからではないかと思われます。
もしそうだとしたら、彼らは単にキリスト教に知的同意をしたに過ぎず、信じたとき、新生を経験しておらず、いつかは教会を離れていくとしても、それまでは教会に害悪を流し続ける存在として留まるでしょう。

初代教会の時代には、パウロを始めとした使徒たちの初信の者たちへの質問は「入信したとき、聖霊を受けましたか?」というものでしたが、現代の教会にあっては「信じたとき、悔い改めましたか?そして新生の体験をしましたか?」という質問をしなければならないようです。

3.この人たちの前には二つの選択肢がある

一つは、本当に聖書に忠実なクリスチャンとなって、間違った考えを捨てることです。

パウロは熱烈なユダヤ主義者でしたが、キリストを知る恵みのゆえに、それらのものを糞土のように捨てたのです。
それゆえ彼は迫害されたのです。
もし彼が間違った愛国主義を持ち続けたなら迫害されることはなかったでしょう。
しかしパウロはそのような有り方をよしとせず、キリストに従う生き方を選び取ったのです。

二つ目は、この世と妥協する

それは戦前の日本基督教団に代表されるリベラル派教会のように、この世の考え(民族主義的愛国心)と同調して生きていく道です。
これはどちらでも好きな方を選べばよいというものではなく、キリストに従う道はいのちの冠を受ける道であり、世を選ぶなら死と滅びが待ち受けているのです。

4.考えない人々

このような間違った愛国心を振り回す者たちの共通点は、自分で考えようとしないことです。
神学することに関心がないのも、神学することに熱心になると自分の間違った愛国心を捨てなければならなくなるのをうすうす勘付いているからではないでしょうか。

5.彼らの主張一覧

皆さんも一応読んでみて下さい。そうすると彼らの異常性が見えてくると思います。

①戦後賠償金を支払い、経済発展に寄与したにもかかわらず、相変わらず反日教育を行うなど感謝をしておらず傲慢である。(それはお前たちみたいな者が侵略行為を正当化するから警戒するのだ。)

②日本における左翼運動が国益を害してきた。
(いったい国益とは何ぞ。政治の世界で右と左があるのは当たり前。)

③日教組や朝日新聞は、外国サイドからの教育や報道を行ってきた。
(どの国の政治的リベラルもそのように批判されている。)

④アメリカ占領軍によって推進された教育は、反日プロパガンダであり『自虐史観』である。
(いったい自虐とは何ぞ。正しく過去の歴史を認識することが自虐なら、自虐でない歴史観とは妄想と捏造の歴史認識か。)

⑤日本基督教団の教職が反米闘争で暴力沙汰になり逮捕されたのは、「悪い政治思想」に影響されたからであり、悪い政治思想とは「左翼思想」であり、左翼思想を持つものはみな洗脳されたのであり、売国奴である。
(お前が洗脳されている。)

⑥牧師であった父親が戦前、神道原理主義政府によって弾圧された過去を持つ音楽の教師が、どうしても「君が世」を伴奏できないといって断ったのは、「日教組左翼思想運動」に献身しているからだ。
(お前には情も人を思いやる心もないのか。)

⑦沖縄だけが戦争で犠牲を払ったわけでもないのに、自分の悲劇ばかりを強調する。
(そういうお前は日本だけが悪者にされていると自分の悲劇ばかりを強調しているではないか。)

⑧クリスチャンであっても一度左翼・平和思想に毒されると、転向不可能となる。
(ふ~ん、初耳だ。やっぱり右翼・侵略思想に毒されるとクリスチャンであっても転向不可能となるのか?)

⑨平和と豊かさを享受しているのに、左翼・平和思想などの祖国をいやしめる思想に毒されている者よりも、原理主義者のほうがよほどましである。
(その平和と豊かさは祖国が与えたのか、それとも神がお与えになったのか。神の御前で答えてみよ。)

⑩日本の過去のすべてが悪かったなどとは全く思わない。
(誰もそんなことは言っていない。妄想もきわまれり)

⑪わが国の左翼勢力は、中国・南北朝鮮とつながっている。
(で、お前はどことつながっているのか、陰謀論者さん。)

⑫自分の国の過去・現在・未来を悪者扱いする国民は世界のどこを探してもいない。
(自分の国が全部よいという国民は世界のどこを探してもいない。)

⑬世界の中で日本を悪く言うのは、中国・韓国・北朝鮮だけである。
(それって、みな隣国ではないか。主イエスは隣人を愛しなさいと言われたのに。)

⑭日本はドイツと並んで最も尊敬されている。
(そうだね。ドイツだとお前は刑務所行きだ。)【過去の歴史をなかったと言ったり、捏造だと言うと、ドイツでは罪になります。アウシュビッツはなかったと言ったカトリックの司祭が捜査対象になりました。】

⑮日本人は祖国に誇りを持て。
(お前が誇りを持て。批判されることに対して過剰反応するのをやめよ。みっともない。)

⑯南京大虐殺は捏造である。
(お前の頭が妄想性人格障害ではないのか?)

⑰日本軍もひどいことをしたが、中国軍もひどいこともした。
(だからなんだ。お前は「ひどいこと競争」でもやっているつもりなのか。)

⑱沖縄戦で沖縄人を殺したのは日本軍ではなく、アメリカ軍である。
(生き証人がいるにもかかわらず、ここまではっきり言うとは。少しも現実を見ず、完全に妄想の世界だけで生きている。)

⑲こんなことを言ったからといって、右翼でもないし、思想的に共鳴もしていない。
(確かにまともな右翼が見たら、怒る。こういうのは妄想性右翼と呼ぼう。)

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コメント

  1. 岡田 より:

    ありのぱぱさん
    執筆 ご苦労様です
    きょうは すごく ヘビーな テーマですよね

    わたしも 歴史本が 好きで 図書館で よく見るのですが 昭和初期くらいから の ものをみると 急に 心が 暗く沈んでしまいます

    張作霖の 暗殺事件 以降 どんどん シビリアンコントロールが 効かなくなり 軍の意志が 国を 引っ張って行き やがては 中国 米 英 オランダと の 戦争に突入する

    この 20年間の 経緯を 読んでいると ほんとに 胸が 痛くなります

    特に 関東軍の 暴走は 目に 余るものが あります 中国人に 酷いことをした というだけではなく 終戦時は 自国民をも 置き去りにして 撤退しています。

    司馬遼太郎さんが ノモンハンを 書くと 俺は 死んじゃうよ そう おっしゃていました

    なんとなく分かる気がします、この時の 軍指導者の あまりの 愚かさと人名軽視 のありよう を 取材するだけで 強烈な情けなさに 死にそうな気持ちになる そういうこと だろうと思うのです

    わたしも インパールの 記事を 読むと あまりの ひどさに 泣きそうに なります 各戦闘の
    ことを 言い出すと きりが ありませんが やはり
    どのような 理由付けを しても 当時の 軍国主義を 弁護することは できません

    わたしの まわりには ありぱぱさんが 言われるような クリスチャン ナショナリストは いませんが おっしゃるように 国家 民族を どう考えるかは パウロさんが参考になると思います

    ローマ書を読むと同族
    への 愛情は 持ち続けましたが 排他的ユダヤ ナショナリストの 立場は 完全に 放棄しています
    ヘブル人であり ベニヤミン族で あることが パウロの 誇りでしたがキリストを信じたときから、ユダヤ人とギリシャ人の 民族的区域線が 壊れてしまいました

    頭の中の 地図には 国境線も 消えて いたのではないかと 思います

    つまり 窮屈ではない 世界観を 持つ事が できたのでしょうね。

    感情的な民族の誇りや優越感は とても窮屈な生き方だと思うし 周囲を辟易と させます、わたしは苦手です

    わたしは すでに キリストの国に 亡命した 身ですから、 その霊的な土地から 日本の 祝福を祈りたい そう思っています。

  2. 岡田 より:

    わたしは 中国の 地下教会の 報告を 読むと

    この方々は、 あまりにも 真摯に イエスさまを信じたために 中華思想も 反日感情も 神様に 捧げて しまった そのように おもえます。

    そして そのことが 心のこだわりの奴隷から 解放されたと いうことでは ないでしょうか

    わたしは 高慢な民族的優越感は ある種の奴隷では ないかと思っています。

  3. arinopapa より:

    岡田さん、おはようございます。
    コメントありがとうございます。
    あの当時のことを見ると、ドイツでは体制内でヒットラー暗殺計画が何百と起こり、イタリアではイタリア共産党による体制外闘争が盛んに行われました。
    翻って我が国を見ると、体制内でも体制外でも、何一つ問題解決の努力がなされることはありませんでした。
    なぜなのか?これが私の長年の疑問でした。
    そこに神道原理主義というキーワードを発見し、ここいらへんに真の原因があるかなと思っています。
    そういうところに、クリスチャンの馬鹿者たちが現れてきました。
    これは当然のことながら、神道原理主義のキーワードでは理解できない問題です。

    仰る通り、パウロの態度が参考になりますね。
    今度、よろしければパウロが馬鹿者たちとどのように戦ったかということを、現代に結び付けて教えてください。

  4. コル より:

     私はありのパパさん書いていらっしゃることに深く同意します。侵略戦争の過ちを2度と犯さないこと、これは信仰のあるなしに関わらず日本人として心に刻んでいかなければならないと思います。キリストを信じる者なら当然かと思います。譲ってはいけません。
     さて、岡田さん、「パウロの頭の中の 地図には 国境線も 消えて いたのではないかと 思います。・・・わたしは すでに キリストの国に 亡命した 身ですから、 その霊的な土地から 日本の 祝福を祈りたい そう思っています。」とおっしゃっていますが、・・・すばらしいですね。私はその境地にはまだ、達してはいません。
     正直に言うと私は日本が大好きです。日本語が好きです。浅学ですが、万葉、古今、新古今をはじめとする古典文学に流れる日本人の自然に対する感受性や言葉を愛する態度にも魅了されています。彼らは皆、主なる神を知らない人々でした。彼らの人生は何だったのでしょうか。無なのでしょうか?私はそうだとは思いません。神様は彼らを愛していたのです。主は住む時代と国、言語を定め、それぞれの恵みの中を生きるようにとりはからわれていた、そう信じています。
    ですから、日本の歴史や国語を学ぶこと、古典を知り、日本の文化を理解することは意味あることだと考えています。日本に生まれ、日本に住む日本人のクリスチャンとして日本が主に喜ばれる国になることを求めていきたいとも思います。その意味で、「南京大虐殺はなかった」とか、「侵略戦争は間違っていなかった」とかいうことは断じて許してはいけないと思います。
     少し岡田さんとは考えが違うのですが、結論は、日本が好きだからこそ、「ありのパパさんにアーメンです」ということです。

  5. arinopapa より:

    コルさん、こんばんは。横レスで失礼します。
    国境線とは何でしょうか?
    国境線とは自分の国と、かの国を分け隔てる二元の壁ではないでしょうか。
    キリストが十字架にかかってくださることによって、この分け隔ての壁を打ち壊してくださいました。
    それでユダヤ人であっても異邦人であっても救われることが出来るようになりました。
    これは究極の問題である救いについてですから、あとの枝葉のすべての問題については何をか言わんやということにならないでしょうか?

    ○日本が好きという心をもって、隣国である韓国や中国を好きになることは出来ないでしょうか?
    (おばちゃんが韓国の俳優たちのファンになるというのは、国境を越えていると思います。)
    日本語が好きという心をもって、他の言語を好きになるということは不可能でしょうか。
    日本文化を理解しようとする心をもって、他国の文化を理解しようとすることは出来ないことでしょうか。
    このことはシルクロードを通って韓国・中国経由で、文化がわが国にやってきたのですから、さらに自分の国に対する理解を増させることに繋がると思います。

    ○万人救済主義のコメント欄にも書きましたが、救い主であるイエスを知らないで生きた方々の人生の意義がどのようなものであったかを知ることは許されていません。
    イエスを信じる信仰に入ったとき、神を信頼する生涯に入りました。
    その信頼の中には、自分が知ることを許されていないことを神にゆだねてしまうことも含まれていると理解しています。

  6. コル より:

    「ありのパパ」さん早速のご返事感謝です。もしかしたら、私も主に、取り扱われなければならないのかもしれませんので、忌憚のないご意見は感謝です。いろいろ教えていただければと思います。
      さて、イエス様は隔ての壁をうち破ってくださいました。私たちを神と和解させてくださり、二つのものをひとつにして下さり、敵意を葬り去ってくださいました。その通りです。
    霊的世界では主の前に、何人もない、国籍など関係ない、その通り、ただ個人がいるだけです。
     ところが社会生活を営むうえで私たちは日本人として現実の中を生きていかねばなりません。日本語を話し、日本人社会のマナーを尊重し、日本人の考え方や感受性を理解しながら生活していくのです。天に国籍があるからといって根無し草のように、何人かわからない生き方は致しません。
    自分を愛することができない人は他の人を愛することができないといわれますが、これは国においても同じではないでしょうか。自分の国の文化や伝統、国語を大切にできないのなら、他の国の人々を真の意味で敬愛し、他の国の文化を理解する、他の国の言葉を大切にするなどということはまずできないのではないでしょうか。
    私は日本が好きで他の国が嫌いだとは申しておりません。日本の歴史を学べば、中国の関わりもみえてきます。中国残留孤児の歴史を知れば、中国の方への感謝の思いもわく、仮名文学を知れば、漢字を生んだ中国の文化を尊重する・・・。日本語の深さ、広さを知れば、他の言語への謙虚な態度が養われ、知ったかぶりもなくなります。
    主イエス様の十字架の愛は国境、文化、言語を越えている、これはいうまでもありません。キリスト者としての社会的責任、この世における生活者としての責任を考えたとき、私たちが住む日本を愛することは、キリスト者としての責務だと考えます。

  7. 岡田 より:

    こんばんは
    ありぱぱさん
    コルさんともなんどか
    お会いしましたよね

    これはやはり、かる〜い ぼくには おも〜いテーマです(-_-;)

    ぼくは、コルさんとは さほど 意見が 違うとは 思わないのです。
    あなたの 文章から 立ち上がる 空気で なんとなく そう思います これはカンのようなものです(笑)

    わたしは 表現の拙劣さから 時々 友人からもアナーキスト 共産党員に 間違われることがありますね‥ しかし、この世的 分類分けが 許されるなら 非常に 温厚な ナショナリストの 部類では入るのでは ないか 自分ではそう思うのです

    もし、わたしの日本を愛する由来はと問われれば
    ぼくは ほんとうは スペイン人に 生まれてきたかった しかし どういうわけか 神様は 日本人枠の ポストに わたしを配属された
    気まぐれに そうされたとは 思いません

    わたしの選択には間違いがあるが イエスさまの選択には間違いは、ありません

    イエスさまが わたしをおかれたこの国 これが わたしにとって地上では 一番 よい国なのです いとおしくて しかたがないのです 小さな 子どものように思います 怪我を しないか 病気に ならないか 心配です ですから 毎日 この国を よろしくお願いいたします そう祈っています

    今のわたしの頭では こんな 幼稚な 答えしか できません

    恥ずかしながら、歴史論から あるいは文化論から こたえるだけの 能力が 自分には ないのです また お会いいたしょう

  8. 岡田 より:

    これは 余談になりますが 昨日の 礼拝の聖書箇所は ヘブル12の2 でありました

    イエスさまをお手本とし、イエスから 目を 離さないということを考えると

    わたしたちキリスト教徒は あらゆるケースにおいて イエスさまなら この場合 どう お考えに なられるだろうか
    それが、すべての物事を判断する時の優勢順位のトップに、来なければならない そう思いました

    国家の問題に おいても 対人関係においても イエスさまの お考えと 対立しない 生き方は クリスチャンに とって 一番 幸いな ものであるし 魂に 平安を 与えられるのではないか そう かんじました

  9. arinopapa より:

    岡田さん、こんにちは。
    「村の小さき教会」ならぬ「大都会の小さいかもしれない教会」では、きちんとした聖書的営みがなされているのですね。
    ところで牧師の「それ、もう一遍やってくれ。」は出ましたでしょうか?
    私は勝手に大受けしていました(笑)。

  10. arinopapa より:

    コルさん、こんにちは。
    まずお詫びします。
    コルさんの書き込みを読んで、岡田さんのご意見と対立的に書かれていると思いこんでしまいました。
    良く読んでみると、何のことはない、同じ立場からの強調点の違いということでした。
    過剰反応でした。お許しください。

    ところでユダヤ的価値観の構造はピラミッド型になっており、その最上位には霊的な価値観がきます。
    そして下位の価値観が上位の価値観に従属するのです。
    これに対してユダヤ以外の価値観はピラミッド構造ではなく、箱庭とも言うべき構造になっております。
    要するに霊的価値観も物質的価値観も文化観も国家観でさえも、すべてが横並びと申しますか対等の関係にあると言われます。

    それでコルさんが仰るような霊的価値観と文化的価値観が対比的に考慮されることになります。
    もちろん聖書は救い主を信ぜよと命じているのみで、価値観の構造まで変えるようにとは言っていないと思います。
    しかしユダヤ的価値観を持っていたパウロは、すべての価値観を霊的価値観に従属させたのでした。
    これはパウロの熱心と言うよりも、価値観がそうさせたと言うべきだと思います。

    実は私もコルさんと同じなのです。(コルさんは迷惑かもしれませんが)
    日本でしか生きられない自分を感じています。
    しかし歳をとってきて、色々なことが段々めんどくさくなってきたのです。
    もうどうでもいい。大切なことは多くない。いや、ただひとつである。
    そのただひとつ、大切なものを守っていけば良い。あとのものは糞土のごとく・・・・・。

  11. コル より:

    岡田さん、ありのパパさんこんばんは。
    「イエスさまが わたしをおかれたこの国 これが わたしにとって地上では 一番 よい国なのです いとおしくて しかたがないのです 小さな 子どものように思います 怪我を しないか 病気に ならないか 心配です ですから 毎日 この国を よろしくお願いいたします そう祈っています」という岡田さん、私もその思いがよくわかります。
     私も感じていることを、岡田さんは構えず、的確にうまく表現しているなあと思いました。「いとおしい」か、なるほどという感じですね。通じるものが感じとれてうれしいです。
    ありのパパさん、いつも丁寧にお答えいたただきありがとうございます。「パウロの回心におけるユダヤの価値観への従属」については、またゆっくり聖書から考えてみようと思います。今後の執筆も楽しみにしています。また書き込ませてください。