神に癒やしを願うなら、方法は神に委ねなさい!

神が人を癒やす時、通常の方法(漸進的)を用いる時と奇跡的な方法(瞬時的)を用いる時があります。
私たちが神に癒やしていただこうとする時、どのような心構えでいればよいのでしょうか?

ありのパパの体験からお話します。

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①あるホーリネス信徒のこと

大分以前、新幹線で岡山まで来て、乗り継ぎの列車が明朝までないことがありました。
そのときは夏でしたので、駅の待合室で夜を過ごすことにいたしました。
聖書を読んでから横になり、聖書を自分のお腹の上に乗せて休みました。

そうしたところ、しばらくすると待合室におられた男性の老人の方が話しかけてこられました。
それはありのパパのお腹の上にある聖書を見て、自分と同じクリスチャンであると分ったからとのことでした。

お話を伺ってみると、その方は戦前からのホーリネス教会の熱心な信者さんとのことでした。
ホーリネス教会は、四重(しじゅう)の福音をかかげて、熱烈な伝道を展開した教団です。
この四重の福音の中に、神癒(しんゆ)というのがあります。
これは神によっていやされることを期待する信仰のことです。

この老年の信者さんが仰るのに「私は長年いやしの信仰をもっていたが、癌になったとき家族や親戚の熱心な勧めに負けて医科治療を行ってしまった。途中で悔い改めて病院を抜け出してきた。」と仰るのです。
私は話を聴きながら内心びっくり仰天しました。

②瞬間的に癒やされることについて

なぜ上記のホーリネス信徒さんのようなことが起きてしまうのでしょうか?
それは癒しにおける瞬時性と漸進性を考慮に入れないからです。

瞬時的いやしの業とは、イエスが病人をいやされた時のように、瞬間的に人をお癒しになられることです。

これは

a.イエスが神の御子であられることの証明として行われた。

b.病気は癒され得るものであるから失望してはならないことを教える。

c.神が人々をどれだけ深く愛しておられるかの印としてなされた。

ことなどを考えると至極当然なことです。

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③癒やされる方法を神に委ねる

人間は弱い存在ですから、一度華々しい奇跡を目にしてしまうと同じものを求めてしまう傾向があります。

しかし主権は神にあります。

その人を癒すのか、それとも病のまま祝福されるのか。
癒されるとして、瞬間的に癒されるのか、それとも人の手を通して漸進的に癒しの御業を行われるのか。

これらのことはみな、神のみこころによって決まるのです。
私たちにとって最も良い道は、神に対して不満を漏らすことなく、信仰を持って神のみこころに従うことです。

④神に従うしか祝福される道はない

ある人々(私もこの中に入っております)は、この神のみこころに従うことが苦手であるようです。
それで何度祈っても、何度ごねても、何も変わりはしないのに悪戯に時を浪費し、『神の時』を失います。

私たちはなんとしても神に従わなければなりません。
なぜならそれが祝福される道だからです。

⑤神に従うとは具体的にどういうことか?

神が漸進的に癒すと仰るなら、私たちは病院に行き、医師の治療を受けなければなりません。
それを自分勝手に「私は瞬時的癒しの業を信じます」と言って、医科治療を拒否したらどうなるでしょう。
その責任は、神にではなく、私たちに求められます。

もし神が瞬時的御業によって癒すと仰るとき、私たちはどうしたらよいでしょう。
その場合ありのパパなら、家族や医師に事情を説明し、退院して断食をもって祈り始めます。
そのようにして従順に神の癒しの業を待ち望みます。

この老年の信者さんのことですが、朝になって列車を待つ列に一緒に並んでいたのですが、振り返ると、隣にいたはずのその方はおられませんでした。
ありのパパは神様が「これがキリスト教の現状だよ」と教えて下さるために、その方を派遣してくださったのではないかとも思いました。
その方がどうなったかを、ありのパパは知ることは出来ません。
しかし健全ないやしの信仰を持つようにとの神のみこころを知ることは出来ました。

◎平安と祝福を祈っています。

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“神に癒やしを願うなら、方法は神に委ねなさい!” への3件の返信

  1. ホーリネスの かたの なかには ここまで、ストレート神癒を 実行 される人も おられるんですね びっくりしました

    ぼくの 知る限りでは そうとう熱心な ペンテコステ信者でも お腹の 痛いときは 内科で 見てもらいます

    良い お医者さまも お薬も神様からの プレゼント という 解釈のしかたです。

  2. そうですね。当然そうなるのが聖書的だと思います。
    今考えると、なぜそのように考えたのかが分りません。
    ひょっとしたら考えなかったのが、不健全な癒しの信仰を持った原因かもしれません。
    でもね、崔史実先生もそうだったんですよ。
    自分のお子さんだったか、お孫さんだったかが、病気になられたとき、教会員の手前、病院に行かず祈りで癒されたということがあったそうです。
    その際、崔先生は「家族の中で信仰が一番弱い者が病気にかかる。」と言われました。
    私はそれを聞いて、「なるほど。」と思ってしまった馬鹿者でした。(笑)

  3. 催先生は 純真すぎたのかも わかりませんね

    ご家族は 安心して病気 も できません(笑)

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