現場ではカウンセラーとマネジャーの両方のマインドをもつ必要がある

校長先生を退職されて教育相談所に勤務しておられる方が、ありのパパにこう申されました。
「私は人の話しを聴いていると頭が痛くなるのです。学校では私はリーダーであり、こーせぇ、あーせぇと言うばかりでした。それがここ(教育相談所)では、しゃべったらいけないと言われるのです」

そばには所長さんがおられ、苦虫を噛み潰したような顔をされながら、その方の話を聞いておられました。
ありのパパはもうおかしくてたまりません。
そして、この元校長先生がいとおしくてたまらなくなりました。

同時にこのことはありのパパに気づきを与えることにもなりました。
そのときまでありのパパはすべての人はカウンセラーになるべきだと考えていたのです。
(今でもすべての人はカウンセリング・マインドを持つべきだとは思っています)

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①カウンセラーの本質的特長とは何か?

それは相手の気づきを待つということと、一対一の関係を重視するということでしょう。
戦後日本の教育界に来談者中心療法を中心とするカウンセリングが入ってきたとき、入ってくる前よりも現場が混乱し、荒れたとのことです。

なぜでしょうか?
問題行動を起こしている生徒に対するのに、その生徒が気づきを持つまで、こちら側からの働きがけをしないということになると、その生徒は問題行動を誰はばかることなく起こし放題ということになってしまいます。
これでは現場が荒れるのも無理はありません。

私たちはカウンセリング・マインドを持って人々に接する必要がありますが、100%カウンセリング・マインドを持って接することが出来るのは、カウンセリング・ルームの中だけです。

②カウンセラーとしての役割のほかに私たちに必要なものは何か?

それはマネージャー・マインドです。
マネージャー・マインドとは三つの要素によって構成されています。

一つ目は段取り能力

たとえば親が子供の悩みを聴いている間にも、ほかの子供はお腹をすかします。
ですから親は子供の話に集中しながらも、何時から買い物に行き、食事作りをはじめなければならないかを段取りします。

また教会などに問題をもった方がやってきた場合、その対応は教会だけで十分なのか、それとも病院の精神科と連携をとる必要があるのか、地域の民生委員と連絡を取る必要があるか、様々なことを考えなければなりません。

ただその方のお話を聴いているだけでは責任を果たしたことにならないケースが多いのです。
(現在の社会状況ですと結果によっては教会が法律的・道義的責任を問われることもありえます)

二つ目は問題を持っている本人と、その人が所属するグループを調整する能力

わがままなタレントとマネージャーの関係にたとえることが出来ます。
自分の身の程を知らない生意気な若者を、酸いも甘いもかみ分けたマネージャーが、本人の希望と業界のニーズを勘案して、本人の希望に配慮しつつ、本人のためになることは何かを考え、実行します。

三つ目は全体を俯瞰(ふかん)する能力

カウンセリングの場合は相手次第であり、結果は相手の選択によります。
しかし現実の世界ではそうもいきません。

たとえば子供のために旅行を計画したとします。
カウンセリングなら子供が行きたくないと言えば、それは本人しだいであり、それもありとなります。
しかしほかの子供の希望はどうするのか。そのために休暇をとった親はどうするのか。
様々な問題が発生します。
マネージャー・マインドとはそのような時、この計画は果たして子供に受け入れられるかどうかを考え、子供がはじめから拒否する場合・途中から行きたくないと言い出した場合など、ケース別に対策をあらかじめ用意しておくことです。

③カウンセリング・マインドとマネージャー・マインドの組み合わせ

現実の世界に住んでいる私たちは、この両方の特質を持たざるを得ません。
しかし人によってカウンセラーがあっている人とマネージャーがあっている人とがいらっしゃるのです。
冒頭の例ではありませんが、人の話しを聞いていると頭が痛くなると言われる方に無理やりカウンセリングしろと言うのは拷問に近いかもしれません。
それよりも、この元校長先生のような方には、段取り上手が多いのですから(事実この方は現職の校長先生の時には有能な校長先生であったようです)カウンセリングがうまくいくための様々な打ち合わせをお願いしたほうが良いのではないでしょうか。
その方がカウンセリングを教える方も苦虫を噛み潰すような顔をしなくても済むというものです。
私たち一人一人は、自分はカウンセラーの要素は何%で、マネージャーの要素は何%だろうかと自らに聞いてみると良いと思います。

◎それがこの世の旅路を、人様のお役に立ちながら、自分らしく、また楽しく歩んでいく秘訣であると考えます。