複数の視点を持つこと

現代に生きるキリスト者は注意しないといけないことがあります。

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①考え方がパターン化する危険

私たちは考える視点を複数もたないと、ただ一つの視点から物事の意味を捉えてしまい、結果本質的な意味を捉え損なってしまう危険があります。
たとえば福音派の方が聖霊第三の波の教会を批判するときに、何か他人事のように言っているのを聞くことがあります。
ペンテコステ派のありのパパから見ますと、「何言ってるの。自派の教会内の聖霊運動ではないか」と感じます。
同じようにリベラル派の方が他人事のようにカリスマ運動について語っておられるのを見ると、「あの~、すいません。カリスマ運動って、リベラル派教会内における聖霊運動なんですけど」と言いたくなるのです。(実際言ってますけど)(笑)。
またペンテコステ教会の方々がカリスマ運動や聖霊第三の波を論評しているのを聞いていても同じように感じることがあります。
「あの~、カリスマ運動も聖霊第三の波も同じ聖霊運動として括(くく)られているんですけど」

②固定観念がパターン化される危険

どういうことかと言いますと、一つ一つの認識が相互にどのようなかかわりを持っているかの視点がすっぽ抜けているのです。
具体的に言いますと、他人事のように聖霊第三の波やカリスマ運動を論評するが、それらが自派の教会からなぜ出てきたのかの認識が全くないのです。
ある日突然、発生するというようなことは、この地上には決してないことです。
必ず理由があって、そうなっているのです。
聖霊運動が発生するような状況があったから、発生したのです。
ではこのような状況とはどのようなものがあるだろうかと考えるのが、個別の認識を相互に結びつける作業なのです。
これが複数の視点を持つということです。

③考え方が固定化すると提案が出来なくなる

あるところで福音派がアメリカという国をだめにしたという人がおりました。(これはリベラル派の一般的な主張です。)
しかしその方には、ではなぜ福音派が台頭したのかという認識は決定的に欠けているようでした。
それを考えないことには話が前に進まないのではないかと、ありのパパは考えるのですが皆さんはどのようにお考えでしょうか?

なぜこうなるのかと言えば、それはやはり一つ一つの事象を相互に関係付けて捉(とら)えることが不足しているからではないかと考えます。
パターン化したものの考え方や受け取り方が固定化してしまうと、物事を正しく見ることが出来なくなりますから、何か問題が起きても、それに対する適切な解決策を用意することが出来なくなります。
この場合ですと、ではアメリカが健全な道に進むためにはどうしたらよいのか、また福音派はどう変わればよいのかについての提案が出来ないと言うことです。

◎言いっぱなしはAAのミーティングだけでよいのです。
実社会では提案こそ、重要です。そうでなければ誰にも相手にされません。

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