原理主義と根本主義と福音主義。この三つはどういう関係か?

マスコミから流れてくる言葉に「原理主義」があります。
教会でよく聞く言葉に「福音主義」があります。
では原理主義・根本主義・福音主義の関係はどうなっているのでしょうか?

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①原理主義とは何か?

キリスト教の福音派やペンテコステ派を指して原理主義と呼ぶ場合もあるようです。
これは過激な実践(この世から見て)に対して言われているようです。

しかし原理主義のもともとの意味はそうではありません。
原理主義とは宗教団体と政治権力が結びついて、国家支配を目指すものです。

例えば日本においては厚生官僚と結びついて靖国神社が国家支配をもくろみ、再びわが国を神道原理主義国家にしようと画策しています。
また創価学会は公明党という看板だけの実体のない政党を使って、国家支配をたくらんでいます。

我が国の現在の状況は神道原理主義と仏教原理主義が結託して、政治権力を独占しているという極めて異様な状態だということができます。
ですから、イラクやイランを見て「イスラム教の国は難しい」なんて呑気(のんき)なことを言っている場合ではないのです。
自分の国の方がよほど大変なのですから!

②根本主義とは何か?

根本主義とは、アメリカにおいてリベラル派キリスト教が勢力を伸張させつつあったとき、危機感を持った人々によって起こされた運動の呼び名です。

根本主義の英語名はファンダメンタリズムですが、ファンダメンタルとはどうしてもこれだけは譲れないという線、「キリスト教がキリスト教である所以(ゆえん)はどこなのか」を強調した運動です。

この運動には良い部分ももちろんありましたが、その反面日曜礼拝の説教のとき動物園からサルを連れてきて、「皆さんの祖先はサルだと言う人がいるが、そんなことはない」と説教したりして、当時の一般的な印象としては論争には勝ったが、同時に顰蹙(ひんしゅく)も大いに買ったということがあったようです。

ここからアメリカの反知性主義が出てきたと言う人もおります。

③福音主義とは何か?

第二次世界大戦後のアメリカで、根本主義の反省に立って聖書信仰を保持しつつ、学問の領域における神の賜物を無視せず活用する立場の人々が出てきました。

たとえば心の問題でも根本主義の人たちは「神の約束に立って固く信じるなら、どんな問題も必ず解決する」と言います。
「そんなあほな」とありのパパは思いますが、この立場の人たちは本気です。
本気だから、怖いのです。害が大きいのです。人を傷つける可能性が大きいのです。

福音主義の立場に立つ人ですと、セキュラーのカウンセリングであっても、そこに聖書の原理を見出し、神の愛こそがカウンセリングを行う原動力であることを知ります。
そしてもともと聖書にカウンセリングの概念があったことを認め、旧約聖書においてはキリストがカウンセラーと呼ばれており、新約聖書において聖霊がカウンセラーと呼ばれていることに注目するのです。

このように聖書が誤りない神の言葉であることを信じつつ、すべての良きものは神からの賜物であると考え活用していくのが福音主義の立場です。

④福音主義の皮をかぶった根本主義教会

ここまでの記事を読まれて、皆さんは奇妙な感じを持たれたかもしれません。
「自分の所属教会は福音主義だけれど、説明を聞いているとなんだか福音主義というよりも根本主義ではないかと思えてきた」と言われるかもしれません。

そうなのです。日本における福音主義教会は名前は福音主義でも、実質は根本主義と言えると思います。

戦前日本に来られた宣教師は根本主義の教会出身でした。(まだその当時は福音主義は存在しませんから。)
その宣教師たちによって成立した教会はしっかりと根本主義的な神学が打ち込まれたようです。

戦後宣教師たちの本国では根本主義は衰退し、福音派キリスト教の中心が福音主義に移った後も、日本ではあいもかわらず名前だけ福音主義で、中身は根本主義という状況が続いてきたようです。

⑤根本主義はペンテコステ派に対して敵対的。福音主義は融和的

アメリカにおいても根本主義キリスト教会はいまだに反ペンテコステ主義であり、反カウンセリングであり、反学問主義であり、反知性主義です。

しかしアメリカ福音主義キリスト教会はペンテコステ教会に対して違和感をもっておりません。(というかアメリカアッセンブリーズ・オブ・ゴッドは福音主義のグループに数えられています。)
こうしてみると、なぜ日本では福音派がペンテコステ教会に敵対的な感情を持っているのかの理由が見えてきます。

日本の福音派教会は、自らが根本主義を選び取るならそれもいいのですが、福音主義教会としてのアイデンティティーをもっているのなら、内容もその名前にふさわしいものになっていかなければなりません。
いつまでも説教壇にサルを連れてきて自らの正しさを立証しようして、かえって顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまうような体(てい)たらくであってはいけません。

◎平安と祝福を祈っています。

当記事のコメント欄において大変有益な議論がかわされました。どうぞ、参考になさってください。

コメント

  1. ヒラぴゃん より:

    アリのパパさんこんばんは。
    いつもブログを興味深く拝見させていただいております。

    私にとって「当然」のことと思っていたことに、別の「意味」や「見方」があることを、このブログからしばしば教えられます。
    今日の内容も、私が考えていたことと少々違っていたので、「あれ?もしかしてそういう意味だったの?」と思わされ、でもそういうときは直接質問してみるのが一番だと思い、失礼ながら書き込みさせていただきます。

    まず、第一は「原理主義」と「根本主義」の違いについてです。
    パパさんは、原理主義を「宗教団体と政治権力が結びついて、国家支配を目指すもの」と定義していて、「根本主義」とは全く別物であると述べておられますが、私の理解は違います。
    私の理解では、「原理主義」と「根本主義」は、どちらも「ファンダメンタリズム」の訳語であって、その内容はパパさんがおっしゃる「②根本主義」がほぼ当てはまると思います。

    ファンダメンタリズムの訳語としては、日本のキリスト教界では、従来「根本主義」が用いられてきましたが、近年、もともとキリスト教用語であった「ファンダメンタリズム」という用語を、アメリカのマスコミが、イスラム過激派に当てはめて「イスラミック・ファンダメンタリズム」と呼ぶようになり、(キリスト教に疎い)日本の評論家やマスコミがこれを「イスラム根本主義」と訳さずに「イスラム原理主義」と訳して紹介し、日本の一般人の間では「原理主義」という訳語がひとり歩きしてしまい、それが「イスラム教」から「キリスト教」に「逆輸入」されて「キリスト教原理主義」などという訳の分からない用語が使われている昨今です。

    そういう訳で、私としては「原理主義」という言葉は、本来「根本主義」と訳すべき「ファンダメンタリズム」という言葉を、誤って(誤ってというのは言い過ぎかも知れませんが、せっかく「根本主義」という専門用語があるのになぜ使わないの、という皮肉を込めて、あえて「誤って」と言わせてもらいます)訳してしまった評論家やマスコミの無知に由来する用語だと理解しています。

    パパさんは、「原理主義」を「政治的」な用語として定義されておりますが、確かに、昔のファンダメンタリストは、信仰の世界に閉じこもって、政治的な活動からは一線を引いていました。
    1960年代の公民権運動やベトナム戦争の時代に、政治に積極的に取り組んだのは、いわゆるリベラルな教派であり、保守的な教派(ファンダメンタリスト)は、それらを冷ややかな目で見ているだけでした。
    けれど、この10年来、かつてのファンダメンタリストたちは、1960年代のリベラル派とは正反対の立場で政治に介入してきました。
    ラルフ・リードのクリスチャン・コアリションや、ジェリー・ファウエルのモラル・マジョリティなどに代表されるアメリカ宗教右翼です。

    それらがバックとなってレーガン政権やブッシュ政権をあやつり、愛の宗教であるはずのキリスト教を、黙示録的オカルト的解釈をほどこして、自分たちに都合の良いように解釈し、イスラムを一方的に「悪魔」と決め付け、自分たちは神の側、イスラムはサタンの側という第三次世界大戦=ハルマゲドンとでもいいたげなオカルト宗教にしてしまったと私は思っています。
    そして、そのような右翼を支援してきたのが、他ならないファンダメンタリストたちです。
    その結果、どうなったかは、現在のアメリカのひどい状態、そしてテロの連鎖が続く世界情勢を見れば一目瞭然です。

    ですから、パパさんが、「原理主義」とは「宗教と政治権力が結びついて国家支配を目指すもの」と定義されていることが、そのまま現代のアメリカに起きているのであり、そして、その「原理主義者」とは「根本主義者」なのであり、すなわち「ファンダメンタリスト」なのです。
    このように、「原理主義」と「根本主義」は、日本語としての翻訳語の違いだけで、同じものだと、私は考えています。

    今、私はあえて「ファンダメンタリズム」という用語だけを使いました。「福音派=エバンジェリカリズム」と「ファンダメンタリズム」は、厳密に言えば違うと思います。
    その違いをパパさんは「質的」な違いと説明しておられますが、私は「程度」の違いと理解しているのです。
    すなわち、極端な保守派がファンダメンタリズムであり、比較的穏やかな保守派がエバンジェリカルだと考えているのです。

    これはおそらくリベラル派のほとんどがそう考えていると思います。
    「それは違う」とパパさんはおっしゃるかも知れませんが、それは例えば、保守派の人が、保守派以外をすべて「リベラル、自由主義」と一括してしまうのと似ているかもしれませんね。
    私など、福音派に移ってきて、福音派とペンテコステ派が仲が悪いというのを初めて知ったくらいなのです。
    福音派とペンテコステ派は、異言葉を除けば同じものだと思っていたくらい無知だったのです(笑)。
    だって、同じ「新改訳聖書」を使い、同じ「聖歌」を使い、同じ「いのちのことば社」から本を出版しているんですから・・・。

    すみません、ついつい長くなってしまいました。
    パパさんの暇なときに、ご意見を聞かせていただければ幸いです。

  2. arinopapa より:

    ヒラぴゃんさん、こんばんは。
    ご質問をいただき、感謝をいたします。

    ①原理主義と根本主義の違いについて
    ヒラぴゃんさんは、アメリカ根本主義キリスト教が政治に加担したことをもって、これこそ原理主義ではないかと言われますが、それは違うと私は考えます。
    教会が単に政治に影響力を発揮することと(たとえそれが間違っていたとしても)、国家の統治機構を乗っ取って聖職者による政治支配を企むのとは全くちがうことです。
    その視点から見ると、原理主義と根本主義は実際は同じものではないかというご指摘はあたらないと思います。

    イスラム教に原理主義がある一方で根本主義も確かに存在します。
    根本主義の人たちは福祉活動や時には政治活動も行いますが、イスラム聖職者による政治支配を目指すことはありません。
    これに対してイスラム原理主義の最大の特徴は、祭政一致です。
    それもよく言われるようなイスラム精神による国家運営などという生易しいものではなく、イスラム聖職者による国家支配と運営です。
    この点で、国民によって選挙で選ばれた大統領がイスラム最高位の聖職者より下位にあるようなイランと、ただ単にイスラム教徒が多数を占めているだけのインドネシアでは全く異なります。
    これも私が原理主義と根本主義を厳密に区別しなければならないと考える大きな理由です。
    原理主義と言うとき、多くの人々がイスラム原理主義を思い浮かべるような時代にあって、原理主義とは何かという問題を考えるとき、現実の政治の状況や社会の有様をも考慮に入れなければならないと考えています。
    訳語についての問題ですが、確かにイスラム根本主義と訳すべきところを原理主義と訳したのは誤訳であったかもしれませんが、今となってはジャーナリストがことの本質を正しく見抜いたとも言えると思います。

    まとめますとこうなります。
    歴史的・用語的にみると原理主義と根本主義は同じ意味である。しかし政治的・社会的・神学的な視点から新しい意味が原理主義に与えられたのである。
    なぜなら原理主義とは、宗教団体・聖職者による国家・政治支配を目指すものであり、根本主義とは本来のあり方に忠実であろうとする生き方であるからです。

    ②根本主義と福音主義の違いについて
    根本主義はリベラル派キリスト教に対抗して起きた運動であり、これが根本主義の最も重要な特色です。
    福音主義は第二次世界大戦後、根本主義の行き過ぎに対する反省から起きた運動であり、この点が福音主義の最大の特徴ということになります。
    ヒラぴゃんさんが仰るように、このちがいはあくまで福音派内部での違いに過ぎません。
    しかし当ブログはペンテコステ教会の視点から、キリスト教会全体とこの世を俯瞰(ふかん)し、ではどうあるべきかを考えるというスタンスです。
    最近の福音主義教会のスキャンダルの原因を考えるとき、自分の出自を忘れていることが原因の一つではないかと理解しています。
    この視点から根本主義と福音主義を区別し、福音主義教会に対して本来の姿勢に戻るようにと呼びかけることが大変重要だと考えているので、今回のテーマでの文章をアップしたわけです。
    仰るように福音派とペンテコステ派は激しく仲違いするわりに、両者のちがいは異言ぐらいしかないと、私も思っています。
    こういうところで、その人が実際は神学的事柄を云々したとしても本音は別のところにあり、その隠された本音に基づいて行動していることがよく分ります

    質的な違いなのか、程度の違いなのかという問いかけですが、これの答えは対象によって異なります。
    即ちリベラル派キリスト教にとっては程度の違いです。それはどちらもリベラル派教会への姿勢は本質的には変わらないからです。
    しかし宣教の対象となるこの世に対しては質的な違いとなります。それは世の人々に対して全く異なるアプローチをなすからです。

    十分な応答になっていないかもしれませんが、またコメントしてくださいませ。
    よろしくお願いします。

  3. ヒラぴゃん より:

    ありのパパさん、早速の回答ありがとうございます。
    原理主義の定義について、パパさんのお考えを分かりやすく説明していただき感謝します。
    なるほど、そういう視点に立った定義も可能なのですね。
    う~ん。
    教えられえるまで気づきませんでした。
    勉強になりました。感謝します。
    根本主義と福音主義についても、私はリベラル側の見方しかできなかったのだなあ、まだまだ勉強不足だなあ、と痛感させられました。
    ありがとうございました。

  4. arinopapa より:

    ヒラぴゃんさん、こんにちは。
    教会は政治に介入しないことが通常のあり方であると考えています。
    しかしこれには唯一つ例外があって、この例外を見誤ると教会と国家と周辺国に多大な被害を与えてしまうことになります。
    その唯一つの例外とは、国家の統治機構が原理主義勢力に乗っ取られる危険が目前に迫っているとき、預言者としての使命を果たすことです。
    戦前、福音派教会は神学的水準が極端に低かったこともあり、預言者としての使命を自覚することさえありませんでした。
    一方の長老系のリベラル派教会は(発行された機関紙などから推測すると)政治的状況をかなり正確に把握・分析することが出来ていたようです。
    しかし弾圧が始まったとき、その長老系のリベラル派教会が声を上げることはありませんでした。
    この二つのことが私が原理主義問題を考えるときの出発点となっております。
    ヒラぴゃんさんの仰ることは全くの正論であると受け止めていますので、また教えてください。(原則にきちっと立つ人の言うことは気づきが与えられます。)

    日本の福音派教会は自由主義キリスト教の訳語であるリベラルという単語を新正統主義キリスト教を呼ぶときにも使用します。
    自由主義キリスト教は楽天的キリスト教とでも言わなければならないぐらい、根拠なく将来に対して明るい予測を立てていたため、第二次世界大戦の惨禍を経験した信者たちに見捨てられ、もうどこを探しても見つけることが出来ないくらいです。
    その自由主義キリスト教に対するアンチテーゼとして登場した新正統主義キリスト教に対して、なぜリベラルという用語を使うのか、私は理解に苦しみます。
    (しかし新正統主義キリスト教の人たちもまた抵抗なく自らを指してリベラルと呼んでいるのですから、全くの間違いとも言えないのかもしれません。)
    その理由として、新正統主義は相手にするには手ごわいので、昔の敵である自由主義のレッテルを新手のライバルに貼り付けて、勝負を有利にしようという魂胆なのかなとも、個人的に全く根拠なく考えていました。
    でもこれはアンフェアですね。

    ヒラぴゃんさんがブログを始められて、自由主義と新正統主義の違いについてなど、有用なお考えを発表されるようになると、私としてはうれしいかなと思っています。
    私も「いや、それは違う!」とコメントさせていただきたいと思います。(笑)

  5. 岡田 より:

    こんばんはありぱぱさん
    ぼくには レベルが高い 論評で 3回くらい読み返しましたよ(笑)

    原理主義のことは 少し 理解できました

    イスラエルの シャロンが オスロ合意から 和平の 方向に動こうとしたときも 強硬に反対したのは 古典的な ユダヤ教徒の 方々でしたね

    いわゆる 原理主義といわれる イエメン系ユダヤ教徒に 暗殺されましたが
    犯人の青年はアラブに神の土地を売り渡す悪人を退治する事は当然であるそう言って笑っていましたね

    おっしゃるように
    特定の宗教思想が 政治に 介入して 国民が 幸せに なったケースは 極めて 少ないですよね‥
    教義を政治に反映さそうとすることは間違っているし不幸な結果を招くと思います。

    ただ、政治は どの宗教も 説いている 正義 慈悲 寛容 などの 精神で 統治 してくださらなければ わたしたちは 困ります。

    いままで わたしが 接した ペンテコステ系の 牧師さんで 福音派の悪口を 言っている ひとは一人も いませんでした
    わたし自身も 全く悪い印象を 持っていません
    なぜ 嫌われているのか いまいち ピンとこんなあ というのが 正直な感想ですね(-_-

  6. arinopapa より:

    岡田さん、こんばんは。
    三回も読んでいただきありがとうございます。(感謝)
    昔、上司から表現が難しいのは、あまり考えてない証拠。ほんとによく考えたら、自然に表現は分りやすくなると教えられましたが、申し訳ございません。(と言うことでお許しください。)

    聖職者による国家支配と政治の運営を目指すのが、原理主義。
    信仰の本来のあり方に戻ろうとするのが、根本主義。
    私はこのように理解しています。
    本来の根本主義は善きものであると思っています。

    私自身が福音派におりますときにもペンテコステ派の悪口を聞いたことはありませんでした。
    ただしそれは相手を認めた上で悪口を言わないというのではなく、いわゆる
    「out of 眼中」というやつで、意識して無視するというのに近かったと思います。
    しかしそれも年輩の牧師や信徒に限られ、若い人たちは何の思いも持っていない様子でした。

  7. マッキー より:

    ありのパパさんへ

    「OUT of 眼中」、懐かしくて爆笑してしまいました。

    ヒラびゃん様の書いておられることは、私のような者には難しくて脳が疲れますが、良い訓練になりますね。

    岡田様は良識があって庶民派ですね(笑)大ファンです。

    今更ですが、別のブログの全文読破が終わりましたので、ありのパパさんのブログの全文読破に挑みます!!
    ただ、私の場合読んでもなかなか身に付かないのが残念なところです…。(泣)

    • ありのパパ より:

      こんにちは、マッキーさん。
      コメントをありがとうございます。

      「全文読破」という言葉に反応してしまいました(笑)。
      光栄であり、うれしくもあります。
      しかし、どうぞ12ステップの棚卸しをなさってください。
      棚卸し表がメールに添付されて送られてくるのを首を長~くしてお待ちしています。

      毒のある返コメをして申し訳ないことです。お許しください。

  8. マッキー より:

    ありのパパさんへ

    棚卸し…。うぅ、痛いところを…。(笑)

    そこはスルーしたいです。(勝手にスルーすんな!!←自分ツッコミ)