クリスチャンが在日韓国人を差別することは許されるか?

最近ネットの掲示板などでクリスチャンと自称する者が韓国人を蔑視する書き込みを行っているのを見受けることが多くなりました。
今日はこの問題について考えます。

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①現代の嫌韓主義と戦前の神道原理主義

まず、これらの者たちの書き込みの内容についてですが、論旨は破たんしており、読むに耐えません。
もうすでに何年も前に考えることをやめたかのような支離滅裂ぶりです。

しかし内容が支離滅裂だからと言って無視していると、戦前に神道原理主義勢力が滑稽な論を振り回すのを見過ごしているうちに、狂信が国を支配してしまった二の舞にならないとも限りません。

そういうわけで、早急にキリスト教会の中にある在日韓国人蔑視の思想を打ち破っておくことが大切です。

②彼らは自称クリスチャンにすぎない

ごく一般的なクリスチャンから見ると、なぜ彼らが在日韓国人を差別するのか理解することができません。
韓国人蔑視の論を書きなぐる者たちは本当には生まれ変わっておらず、信じたとき新生を体験していません。
いわゆる自称クリスチャンか、良く言って名前だけのクリスチャンに過ぎません。

③人種差別について聖書は何と言っているか?

使徒の働き10章28節には「神は、どんな人も聖くないとか汚れているなどとは言ってはいけないことを、お示しくださいました」とあります。
聖書は明確に人種的蔑視を禁じているのです。

これは信仰に関してのみ言っていることであり、社会問題についての言及ではないと言う主張は誤りです。
なぜならペテロは異なる人種間の交流を禁じる社会的律法を破って、異邦人であるコルネリオの家に行っているのですから。
神が異なる人種間の交流を禁じる社会的規範(律法)を無効にされようとして、べテロをこのように導かれたのです。

④この問題の対応はキリスト者にとって生命的な問題

この人種差別してはならないという神の命令はクリスチャンの自由意志に任されている問題でしょうか?
それとも信仰にとって死活的問題でしょうか?

異言を伴う聖霊のバプテスマを異邦人が受けるというコルネリオの家での出来事は大きな問題に発展しました。
「人々はこれを聞いて沈黙し」〔使徒11:18〕とある通り、一時的にはこの問題は決着を見たのですが、これは完全な決着ではありませんでした。

どういうことかと言いますとエルサレム教会の律法主義的傾向は修正されず、彼らは最終的にはユダヤ教の一派へと変質していったのです。
これが歴史の事実なのです。
エルサレム教会は異邦人蔑視をやめず、最終的には救いからもこぼれ、歴史の中で消滅してしまいました。

神はご自分に従うことを強制されませんが、私たちは選び取った結果から逃れることは出来ないのです。
神を畏(おそ)れなければなりません。
恐れおののいて、自らの救いを達成しなければなりません。

⑤外国人差別を行う自称クリスチャンへの最終勧告

クリスチャンであると言いつつ、在日外国人を差別することは決して両立し得ないことです。
外国人差別は神の前で明確に罪であり、この罪を持ったままでは天国に入ることは出来ません。

それでも蔑視をやめたくないと言うのであれば、そんな信仰を持っていても何の役にも立たないし、教会にも迷惑をかけるばかりだから、そんな偽物の信仰ならいっそ捨ててしまってはどうかと申し上げるものです。

◎平安と祝福を祈っています。

コメント

  1. 岡田 より:

    ありのパパさま、こんにちは、このメッセージ読ませていただきました。
    在日差別に関しては、彼らのバックにある血筋、韓国に対する感情が、起因しているのではないかと思えます。
    在日米国人差別は、ありません それはアメリカに対しては優越感を持っていないからでしょうね。
    犯罪率が高いとか、パチンコ屋が脱税しているとか 、加えて韓国新興プロテスタントが日本に与えた負の部分、 これら虚実入り混じった情報が在日攻撃を正当化する理由になっていると思えます 。
    がしかし、脱法行為に関しては日本人 異邦人を問わず手錠をかけ厳罰に処すればよいだけのことです。
    差別視する人たちは在日のかたを そのルーツを切り離し個人として見ることができないのです

    国籍、出自を全く問わない世界、それはキリスト教会と暴力団と言われますがクリスチャンの一部に 不健全なナショナリズムがあることは、残念なことですよ。

    このような方々は一度、観光がてら生野か鶴橋に来られるとよいのです。
    在日といえども、我々と同じ生活を営んでおり、一色ではないことを 分かって頂けるでしょう。

  2. arinopapa より:

    岡田さん、こんばんは。
    コメントありがとうございます。

    岡田さんのような方ばかりであれば、問題は何もないですね。

    民族差別は社会的弱者がさらに自分より弱い者をいじめることによって起きるものだと思います。

    クリスチャンの中にも、韓国に対する差別をむき出しにする者がおります。
    その者たちは結局のところ、救われていない名前だけの信仰者ではないかと考えます。

    願いは日本の教会がそのような誤った民族意識から免れることが出来るようにということです。

    またコメントしてください。