『力の伝道』はキリスト教伝道に効果がある!

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①力の伝道は聖書的

「力の伝道」といえば聖霊第三の波の専売特許のように思われていますが、そうではありません。
聖霊第三の波の貢献によって、忘れ去られていた歴史的キリスト教の教理が再発見されたというべきなのです。
リベラル派教会の言うように、力の伝道そのものが非聖書的なのではありません。

②いやしは相手をかわいそうに思う心から出てくる

病気のいやしを相手を思いやる心によって行うのではなく、宣教の道具として行うことは許されることではないとの主張は間違っております。
使徒の働きを読みますと、使徒たちの奇跡やバルナバを通して行われた奇跡によってリバイバルとも言えるような爆発的な宣教の進展があったことが記されております。
バルナバがいやしい利得を求める心から、宣教の道具としていやしや奇跡の業を行ったとでも言うのでしょうか?
いいえ、そうではありません。
病気の人をかわいそうに思う心から病気を治して差し上げ、それを通してリバイバルが起きたのです。

自分の主張が初めにあって、その主張に都合の良い部分だけを聖書から寄せ集め、自分の主張に都合の悪いところは目をつぶるなら、それは神の前で赦されることではありません。

③力の伝道は日本人の宗教心に合致する

あるセキュラーのマーケティング会社が世論調査を行ったことがありました。
その結果、日本人の意識の中に「祈りはきかれる」との概念があることが明らかになりました。
また、祈りがきかれる信仰こそ本物であるとの基準もあるのです。

ですから祈っても祈らなくても同じだよというような非聖書的な信仰ではなく、神はあなたの祈りに関心を持っておられ、あなたを孤児にされるようなことは決してないという信仰のほうが日本人の心を開きやすいのです。

④無神論的な価値観を打ち破る有効な手段

「死んだら、それで終わり。この世しかなく、あの世は存在しない」
これが無神論的世界観であり人生観です。
この無神論的人生観を打ち破るには、不思議と印が伴う信仰でなくては土台無理な相談でしょう。

リベラル派教会は礼拝に続けて出席したり、聖書を学んだりすることによって、この壁を打ち破ることが出来ると言いますが、果たしてそうでしょうか?
無神論的人生観をもっておられる方が教会に来ると、どうして考えることが出来るのでしょうか?
到底受け入れることが出来ない、非現実的な主張であると言わざるを得ません。

⑤いやしは自分自身が神に愛されていることを知ることに繋がる

神様が私の健康に関心を持っておられ、この私をも愛しておられるとの気づきにつながります。
人が人格的に成長していくためには、神様に愛されていることを個人的・体験的に知ることがどうしても必要です。
それなしには張子の虎(はりこのとら)と同様であり、日本のキリスト教会が戦前の神道原理主義政府による弾圧で総崩れになってしまったように、神の愛を確信できずに迫害に打ち勝つことができない自分自身を見る羽目に陥るのです。

◎このようなわけで力の伝道はキリスト教の伝道になくてはならぬものであり、クリスチャンの人格的成長にとっても有益であることが分ります。
信徒一人一人が力の伝道者となってキリストの救いを宣べ伝えていこうではありませんか!

コメント

  1. コル より:

    ありのままぱぱさん、こんばんは。
    精力的なご執筆の数々、久しぶりに読ませていただいています。

    「力の伝道はキリスト教の伝道になくてはならぬもの」という考えに私も同感です。
    少し前、ある姉妹の病気のいやしを祈ることを通して、その姉妹のご両親が信仰に導かれました。
    その姉妹のご主人も、教会に来だした頃、「いやしを見て神を信じざるをえない」とおっしゃっていました。

    キリスト教に対する否定的態度を一気に捨てさせるにはやはり、「力の伝道」が有効なのだと思います。
    「力の伝道」はやはり、聖霊にたよらざるをえません。

    不祥事がとりざたされている日本の教会ですが、愛と聖霊に満たされた神様のわざがいたるところでおきてくるといいなあと思ってます。
    それも特別の人ではなく、主イエスの名によって祈る普通の信者によって起きるようになるのが理想ですね。また、特別の場所ではなくて、主イエスの名で祈るところどこにでも起きるのが。
    「信徒一人一人が力の伝道者となってキリストの救いを宣べ伝えていこうではありませんか!」とおっしゃるありのままぱぱさんに「アーメン」です。 

    • arinopapa より:

      コルさん、こんばんは。
      コメントありがとうございます。

      そうですね。仰る通り、現在嵐の間中にあるといっていい聖霊派教会ですが、神様からあずかっている宝物を海の中に投げ捨ててしまうことがないようにと願っています。
      牧師や伝道者が、大げさな身振り手振りと共に行う「癒しまショー」ではなく、名もない平凡なキリスト信者がイエスの御名によって癒しを宣言する、そんな光景が我が国に満ちあふれますようにと祈る者です。

      そのためにもまず、信徒の牧師に対する依存的な有り様を変えていくことが必要だと考えます。

      またコメントしてください。

  2. マッキー より:

    ありのパパさんへ

    お久しぶりです。

    コル様とのやり取り、「きっと成熟したペンテコステのクリスチャンになると、こんな議論や話し合いが出来るようになるんだろうなぁ~」と拝読しています。また、コル様には、別のブログのコメント欄でフルボッコのところ、ずいぶん助けて頂きました。懐かしい~。

    「信徒の牧師に対する依存的な有り様」、なかなか強敵です(泣)妻が早くも元の問題教会に戻ると申しております。
    私は義母と妻と子供の送迎をした後に、別の教会に行くことになりそうです。
    神様の定めた時もあると思いますが、せめて子供は早いうちに奪還したいと思っております。
    私が言うのも何ですが、マインド・コントロール恐るべし…。

    • ありのパパ より:

      こんばんは、マッキーさん。
      コメントをありがとうございます。

      コルさん、懐かしいですね。
      お元気にしておられると思います

      マインドコントロールでなくても、母教会を慕うお気持ちがおありなのでしょう。
      ただ、家族が別々の教会に集うのは、ご主人の影響力を削いでしまうことになり、好ましいことではありません。
      奥様だけでもマッキーさんと同じ教会に通えるように祈っています。

      またコメントしてください。お待ちしています。

  3. マッキー より:

    ありのパパさんへ

    お祈り感謝します。
    普段はこんな時間に目は覚めないのですが、起きてしまいました。
    私は悔い改め不充分な問題牧師の説教再開を、到底容認することは出来ません。

    妻が調子に乗って離婚をほのめかしたとしても、到底教会に戻る、残ることはありません。

    人を恐れず、神を畏れる者になりたいと思います。

    • ありのパパ より:

      こんにちは、マッキーさん。
      コメントをありがとうございます。

      さぞ、ご心労であられるでしょう。
      でも絶対大丈夫。
      こんなことは長い人生の中のごくごく一時期に過ぎません。
      そう念じつつ、この時期を乗り切ってくださいますように。

      平安と祝福を祈っています。

  4. マッキー より:

    ありのパパさんへ

    お祈り感謝します。

    慰められ、励まされます。

    有難う御座います。