福音主義神学の限界?

最近あまりに福音派教会のスキャンダルが多いので、実は背景にある福音主義神学に問題があるのではないかという人がおられます。
福音派神学ではなく、福音主義神学と言われますと、ありのパパも黙ってはおれませんので意見を述べることにします。

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〇神学は自らが豊かにしていくもの

神学は出来合いのものではなく、生き物であり、自らの実践と思索によって豊かに発展させていくものです。
その作業をせずに限界呼ばわりするのは的を外していると言わねばなりません。

昔、神学校の授業で、ありのパパが教師に「先行的恩寵とは良心のことですか?」と質問すると、教師は気色ばんで「先行的恩寵は先行的恩寵だ。」と答えるばかりでした。
これでは議論になりません。これ以降質問するのをやめました。

日本人信者は写経的というか、今あるものを変えられないものとして受け止める傾向が強いです。
しかしこれは間違っております。
聖書を生活にどのように適用するべきかとの思索の結果、神学は生み出されたのです。

だから他人事のように「福音主義神学の限界かなぁ」などと言っていてはいけません。
あなたも聖書を神の言葉と信じているのですから、直面する問題に聖書をどのように適用すれば良いかを考えてみてください。
頭は生きている間に働かせなければなりませんよ!(笑)

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