教会とカウンセリング

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①三十年前、教会は精神科医から「うつ病の温床」と呼ばれていた

それが日本の教会でもカウンセリングが普及し始め、今度は精神科医が患者を教会に紹介してくださるようになりました。
これは病院では3分間治療といわれるように、話を十分聞くことができないため、医師が患者に教会を紹介してくださるのでした。
このことは医師が教会を信頼していてくださることを証ししています。
ありのパパが教会でインターンをしていたとき、どのようなきっかけで教会においでになられたかをお伺いすると、ごく自然に「はい、精神科の担当医に『教会に行くといいよ』と言われて、紹介されて来ました」と仰るのです。
私はそれを聞いて、本当に日本の教会は変わりつつあるのかもしれないと喜びました。
しかし、これは一部の教会にとどまり、大多数の教会には波及しなかったようです。

②精神疾患を患った方が教会に来るのを嫌がる牧師や信徒の存在

私はそのような方に言いたいのです。
「大丈夫。すぐ慣れます(笑)」
礼拝の最中に立ったり坐ったり、冬の寒い中、突然窓を開けたり閉めたり、キャンプに行けば夜消灯後、寝床で突然歯磨きを始め、暗闇の中に「シュッ、シュッ」という音だけが聞こえてきたり、とてもシュールでクールな体験もしますが、大丈夫すぐ慣れます。

それでも差別して排除するなら、あなたが何を考えているかすべてをご存じの神様にさばかれますよ。(と脅かしてみるテスト)
牧師の中には、精神障害者は精神病院に任せるべきであり、教会がかかわるべきではないと仰り、それにかかわるトラブルや事故が起きると、それ見たことかとあざ笑うかのような文章をアップする方もおられます。

この方々は自分たちだけの交わりを愉しむのみです。
しかし私は言いたいのです。
あなたはご自分を安全なところに置いて、福音のすばらしさを満喫しておられる。
そして何かあるたびに高みの見物を決め込むのみ。

では家族からも地域からも行政からも、そして病院からさえも見放された人々はどこに行けばよいのですか。
見殺しにするのですか?あなたの意見をお伺いしたい。

➂教会が配給制度を始めた真の理由

初代教会の時代、福祉制度がありませんでしたから教会がその代替をしました。
食糧の配給などが教会の本質的な仕事ではないとの認識を持っていたことは使徒たちの言葉からも明らかです。
しかしニーズがあれば、教会はそれを満たすことを躊躇(ちゅうちょ)しませんでした。
どの時代にあっても教会は、その時代の、その地域のニーズは何かを注意深く探り、それを満たしました。
この原則はどの時代であっても、どの国であっても変えてはなりません。
福音宣教のために道具として、福祉を利用したのではありません。
愛の心があったから、そうしたのです。

④救われていたら愛があるはず

クリスチャンなら当たり前のことがなぜ出来ないのでしょうか?
愛がすでに無くなっているというなら、救いからもこぼれているのです。
それは黙示録の記述からも明らかであり、だからこそ恐れおののいて自らの救いの達成に励みなさいと言われているのです。

◎聖書の命令を無視してはなりません。
「しかし、脅かされてするのではなく、憐れみの心からすることを私は願っている。」
平安と祝福を祈っています。

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