失望は致命的失敗を、絶望は究極的喜びを連れてくる

失望と絶望は一見、似ています。
しかし伴う結果がまるで違います。
失望は後悔を、絶望は悔い改めを連れてきます。
私たちは悔いのない人生を生きたいものです。

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①失望という言葉を聞くとき、どんな印象を持たれるでしょうか?

プラスとマイナスでいうと、どのくらいの割合ですか。
ありのパパですと、プラスが35%でマイナスが65%というところでしょう。
そして、そのプラスは自己憐憫という姿をしているのが普通です。

②絶望という言葉はどうでしょうか?

ありパパの場合ですと、マイナス100%ですね。
人が失望したと言うとき、まだ希望を持っている場合が多いのです。
しかし本当に絶望したときは言葉通りで希望を持つことができない状態です。

③失望と絶望はどっちがよいか?

皆さんはすでに、多くの場合に失望するよりも絶望した方が良い結果を生むのをご存じでしょう。

失望がやってくるとき、人が陥るのは後悔です。
絶望がやってくるとき、人が向かうべきところは神への悔い改め以外にありません。

④後悔とは何か?

自分で何とかできると考え努力するが、やっぱりなんともならない。
そして心を入れ替え、心気一転新しく生まれ変わった[気持ち]になって頑張ります。
そしてまた失敗します。
このようなことを延々と繰り返すのが、後悔から出てくる行動です。

後悔とはすなわち、究極的破滅に向かって歩む一理塚にほかなりません。

⑤悔い改めとは何か?

「このままでは本当に死んでしまう」と自分が置かれている状況に気づき(これを底付きとか、我に返るという)、人生をコントロールする力がないことを認め、神にならこんな自分を救うことが出来ると信じ、自分の人生を神にゆだねる決心をすることです。
これが本当の悔い改めです。

「後悔は永遠のほろびに至らせるが、悔い改めは後悔のない永遠の命に至らせる。」(聖書)

◎平安と祝福を祈っています。