「霊的戦い」と神の応答が来るまで祈りぬくキリスト教の伝統

悪評高い「霊的戦い」の教えですが、古くからのキリスト教の教えを復興したという意味もあります。
「神からの応答が来るまで祈り続ける」キリスト教の伝統と、日本文化の負の面に打ち勝つための祈りとして用いることが可能です。

        

1.「霊的戦い」と「祈りの応答」

「霊的戦い」を教えられたとき、これをどう扱ってよいものか困惑しました。
しかしある時、古くからあるキリスト教の教えではあるが、現代には忘れられている教えがあることに気づきました。
それが神からの応答が来るまで祈り続けるという、神へのとりなしの祈りだったのです。

18世紀メソジストの伝道者たちは年会で任命を受けると、争って馬に乗り任地に赴(おもむ)きました。
そして任地に近づくと馬を下りて、その場にひざまずき神に「この任地を私にお与えください。」と祈りました。
そして神に答えられたと心に確信が来るまで(これを御霊の証といいます)祈り抜きました。

それでありのパパはこの教理が歴史的キリスト教の中で存在したものであることを納得しましたので、その範囲において霊的戦いを行うことにしました。
(もちろん「霊的地図つくり」などはナンセンスであり論外です)

ありのパパが霊的戦いを行うもう一つの理由は、「日本のキリスト教はなぜ弱いのか?」という疑問への答えとして行っているということです。
人間の弱さとは違う別次元の弱さといいますか、これの理由は何なのかというのが長い間の問いかけでした。
その答えが2.に書いたことです。

        

2.教会を弱体化させている敵の正体とは?

a.村社会意識(教会の中では世俗主義として現れる)

b.武士道精神(教会の中では律法主義として現れる)

c.偶像礼拝(教会の中では主観主義・熱狂主義として現れる)

        

3.対抗の仕方

この三つの「文化的思考パターン」にどのようにして対抗するかと言えば、この文化を支配するのは聖書によると霊的な存在ですから、足をすくわれないために口を閉ざすことがないためには「いつも覚えて祈ること」であるということになります。
ありのパパはこれが効果的な対抗策ではないかと考えています。

このようにして祈り続けるなら、思考パターンが徐々に変わっていき、ついには日本文化の負の特徴に打ち勝つクリスチャンになると信じます。
ともに励みたいものです。

◎平安と祝福を祈っています。

        

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