ムラ意識・世俗主義、武士道・律法主義、原理主義・熱狂とは何か?

教会には内に潜む敵と外にほえたける敵が存在します。
それは何でしょうか?

①【村社会意識・世俗主義】(神よりも人の顏を恐れる。)

②【武士道精神・律法主義】(神の義《公義》よりも己が義を主張する。)

③【神道原理主義・主観主義】(キリスト以外のもので心を満たそうとする。)

以上のものを挙げることができます。

それでは一つ一つ考えていきましょう。

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1.村社会意識・世俗主義

日本人ほど人の顔色をうかがう民族はないといわれます。
都市部では若干違うものの、地方に行くと人の顔をうかがう文化が強力に残っています。

このため海外で信仰を持っても、人の顔色をうかがう文化の中では信仰を維持するのは難しいことになります。
また入信した後も人の顔をうかがうという文化は、信仰生活の中に姿を変えて残存します。

①世俗主義

世俗主義とは、この世のことと心の中のことを分けて考え行動する原理です。
分けて考えればこの世と衝突することもなくなるでしょう。

その隠れた動機はやはり人の顔を恐れることにあります。
人の顔が気になるので、なるべくトラブルになるようなことは避けたいと考えるのです。
その恐れ方が尋常ではないのです。

②これはパウロ的生き方の対局にあるもの

パウロは「この世が望む信仰を宣べ伝えるなら、迫害を受けることはなかったであろう」と言いました。

ある方のブログで知ったのですが、その方の通うリベラル派教会の牧師は天使や悪魔の存在を信じないというのです。
その理由がふるっていて「科学が発達したこの時代にそんな証拠のないことを伝えられない」というのです。
なぜこのような理解になるかと言うと、その動機は世間が望む信仰を宣べ伝えたいからです。
結局、人の顔を恐れているのです。

リベラル派教会に限らず人間なら誰でも人の顔を恐れるということがあります。

2.武士道精神・律法主義

①武士道精神は一見良いものに見えるが実はそうではない

武士道というと腹切り・切腹ですが、これの言わんとしている事は結局「私は正しい。それなのに誰もわかってくれない。だから腹が立つので腹を切る」ということです。

海外の方がよく言われることに「日本人の議論は議論でない。自分たちの考える議論は意見を戦わせることだが、日本人の議論は真剣勝負(果し合い・決闘)という感じがする」というのがあります。

言われて気づいたのですが、ありのパパにもその気があります。
普段は議論をするのが苦手なのですが、いざ議論を始めてしまうと人が変わったように真剣になってしまいます。
これは心の奥底で「自分は絶対正しい。こんな正しい自分を否定するやつは許せない」と思い込んでいるからです。

だから普段は涼しい顔をしていても、いったん議論が始まると人が変わったようになり、自分の意見が受け入れられないと自分の存在が否定されたと勘違いし、自爆するのです。
この自爆が腹切りであり、「問答無用!」と言って相手を暗殺した軍部のクーデター(2.26事件)でもあるのです。

②この精神は日本人が信仰を受け入れても付きまとう

「名前を変えてお店に出ています」ではありませんが、もう信じたからとか、新しく生まれ変わったからとか能天気なことを言っていると、まんまとやられてしまいます。
それが律法主義です。

③律法主義の本質とは何か?

それは「神は私のことを良くご存知かもしれない。しかし私のことを一番良く知っているのはこの私なのです。だ・か・ら、神は私の言うことを聞いてほしい。(もっと正確に言うと神様は私に従って欲しい)」というものです。

教会の中でも、何もないときは和気あいあいとしているのですが、いったん何かあると途端に大騒ぎになって角(つの)をつつきあうのはこのためです。

④福音派と聖霊の働き

福音派の方々があんなにも聖書にも教理にも厳しいのに、聖霊の自由なお働きに心を開くことが出来ない理由も案外こんなところにあるのかもしれません。
聖霊のバプテスマには必ず異言が伴うことを、聖書は明らかに記しているにもかかわらず、様々なこじつけを用いて実質的にそれを否定します。

⑤「悔い改めて、信じる信仰」とは「私が正しい!」と言うのをやめること

「私が正しい」と言うのをやめ続けるのが悔い改めの伴った信仰です。

但し、これは神と人との関係においてのみ言えることです。
マインド・コントロール牧師が信徒に対して、「自分が正しいと言ってはならない」と強制するのは犯罪です。

3.神道原理主義・主観主義

さて三番目に控え、またもっとも強力な敵は何でしょうか?

①原理主義とは何か?

特定の宗教団体が国家と結びついて礼拝行為を強制することを原理主義といいます。
日本においては靖国神社が厚生官僚と結びついて、わが国を神道原理主義国家にしようと画策しています。

原理主義の特徴は

a.特定の宗教団体による国家経営 

b.熱狂的な政治的関心によるマインド・コントロール 

c.従わない者に対する容赦ない弾圧

歴史の中で原理主義は繰り返し表れて、人々を苦しめ国家を疲弊させました。
わたしたちは目を覚まして、祈っていなければなりません。

②偶像礼拝の本質は何か?

偶像礼拝の本質は心の奥底にあるすきまをキリスト以外のもので満たそうとすることです。

③印としての異言の存在

神と言っても目に見えないので、父である神は御子であるイエス様を送ってくださり、神の本質を見せてくださいました。
そのイエスが復活後、天に昇られて、この世が終わるとき天から再び来られます。(これを再臨と言います。)

その間、イエスを信じる者たちはどうしたらよいかと言いますと、イエスが送ってくださった別の助け主とともに地上生涯を歩んでいくのです。
この助け主を聖霊なる神と言います。

もちろん聖霊も目に見えませんので、弱い存在である私たちには何か印が必要です。
その印が異言です。
異言で祈ると心が温かくなり、神が私とともにいてくださるのがよく分ります。

④「不思議と奇蹟といやし」を偶像にしてはならない

しかし異言だけでは満足できない人々がいます。
そのような人々は聖書が禁じている聖書の私的解釈を行い、自分の好きなように教理を作り上げます。

これを主観主義と呼びます。
昔は熱狂主義と呼んだのですが、ことの本質を考えると思い込み主義とも言うべきものなので、ありのパパが主観主義と名づけました。

頭に手を置いて祈ると後ろに倒れることがショーのように行われたり、預言者運動が行われたり、地域を支配する霊を打ち破る戦いが強調されたりします。
心の空虚感を何とかして満たしたいのです。

⑤熱狂主義と偶像礼拝は姉妹の関係

未信者のときは宗教原理主義で心を満たそうとし、クリスチャンになった後は巧妙にキリスト以外のもので心を満たすように誘われます。
これらの本質は皆、偶像礼拝です。

ペンテコステ派のクリスチャンは、異言をもちいての神との温かい人格的交わりから離れることがないように警戒しなければなりません。
神との人格的交わりから離れて、目に見えるもので神を求める心を満たそうとするなら、その人生の終わりには悲惨な結末が待ち受けていると言わなければなりません。
私たちお互いは注意したいものです。

◎平安と祝福を祈っています。