『ありのままでよい』という理解を体験的に自分のものにするには?

ありのパパがどのようにしてありのままの自分を受け入れることが出来るようになったかをお話します。

        

①カウンセリングの授業のなかで公開カウンセリングの実習がありました。

そのなかでありのパパはクライアント(カウンセリングを受ける人)の役をやりました。
そのときのありのパパの問題は、ある女性信徒のふるまいが気にさわってしょうがない。
すべての人を赦さなければならないのに、それができない。
こんな私は教会の世話役としてふさわしくないというものでした。

        

②そのときのカウンセラーの応答は、次のようなものでした。

カウンセラー:旧約聖書のイザヤ書 43:4には『わたしの目には、あなたは高価で尊い。』とある。
神はあなたのことをなんと言っているか?

ありのパパ:高価で尊いと、言っています。

カウンセラー:あなたは自分自身のことをどう言っているか?

ありのパパ:こんな自分ではだめだと言っています。

カウンセラー:あなたの主は誰か?

ありのパパ:イエス・キリストです。

カウンセラー:ではあなたは誰の言うことを受け入れるのか?

ありのパパ:イエス・キリストです。

カウンセラー:そうすると、あなたはどのような存在か?

ありのパパ:高価で尊い存在です。

ここで公開カウンセリングは終わり、ありのパパは自分の席に戻り、教壇のところでは次の人が公開カウンセリングを受け始めました。

        

③自分の席にすわっていたありのパパに、聖霊である神様がカウンセラーが語ったのと同じ言葉を語ってくださいました

そのときありのパパは心の中で「そんなわけないじゃないか!駄目なままでいいわけないじゃないか!」と思わず反論しました
そうすると神はまたも語られ「あなたはそのままで良い。わたしがあなたを通して働くから、あなたは駄目なそのままで良い」
ありのパパの目から涙が流れ落ち始め、それは人目をはばからず号泣となりました。

そのとき以来、自分が神の目に高価で尊い存在であることを疑ったことは一度もありません。

◎あれから30年がたちました。
今も変わらず「ありのままのあなたがすばらしい」と神の言葉を心にちょうだいしております。
神様に感謝をお献げいたします。

        

こちらの記事もどうぞ

  • 人を赦すって、どういうこと?人を赦すって、どういうこと? 今日は読者の方からのご相談にお答えします。 相談者はクリスチャンですが、相談内容は誰にもあり得るものです。 どうぞ「自分ならどうするか」と考えながら読んでいただくと幸いです。 …………ここから相談本文………… あ […]
  • 日本人は同じでないことを恐れ、アメリカ人は同じであることを恐れる日本人は同じでないことを恐れ、アメリカ人は同じであることを恐れる 1.日本人は没個性的でアメリカ人は個性的って本当? 日本人は他の人と同じでないことに恐れを感じます。 これに対して、アメリカ人は他の人と同じであることを恐れます。 このところだけを見て、日本人は没個性的であり、ア […]
  • 敵意と憎しみの原因である「これが出来たら合格」主義とは何か?敵意と憎しみの原因である「これが出来たら合格」主義とは何か? 今日は皆さんとご一緒に「これが出来たら合格」主義とは何かについて考えます。 1.これができたら合格主義とは我力(がりき)によって救いに到達しようとする生き方 「救い」という言葉を聞くと、多くの方は「自分には関係ない […]
  • あるべき親子関係について聖書から学ぶと、親子の問題は解決する!あるべき親子関係について聖書から学ぶと、親子の問題は解決する! 聖書的な親子関係とはどのようなものでしょうか? 親子関係について聖書が教えている箇所を見ていきます。 1.聖書が子どもに教えていること ①子どもは、主を信じる者として自分の両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだ […]
  • 夫婦和合の秘訣はたった二つだけです。それは…………夫婦和合の秘訣はたった二つだけです。それは………… 聖書には霊的な事柄だけが書かれているわけではありません。 なんと夫婦関係についても書かれています。 そこで今日は皆さんとご一緒に、夫婦間の問題について聖書はなんと教えているかを見ていきます。 1.自分の妻を自 […]

『ありのままでよい』という理解を体験的に自分のものにするには?」への2件のフィードバック

  1. ありのままのあなたがすばらしい、という本を読みました。
    神さまは確かにありのままの自分を受け入れて、どんな罪でも赦してくだるというところからスタートしますね。

    私もそうでした。が、自分をすべて明け渡さないと神は受け入れてくれません。
    神を侮り続けて、自分の願うように、自分の願う時に、自分のやりたい方法で、という身勝手な信仰。
    自分にとって聞こえのいいみことばを選ぶ、解釈をする。

    そんな自分には「ありのまま」はありえないと思っています。

  2. こんにちは、reikoさん。
    コメントをありがとうございます。

    信仰のはじめを十字架でスタートしたのに(ありのままでよいということ)、あとから行いで救いを完成しようとすることを律法主義と言います。
    神はこれを忌み嫌われます。
    ですからはじめから終わりまで永久までも「ありのまま」で良いのです。

    またコメントしてください。お待ちしています。

どうぞコメントをお残しください。初めてコメントなさる方は必ず自己紹介をお願いします。自己紹介のないコメントを承認することはありません。詳しくは[お知らせ]の[コメントしてくださる方へ]をご覧ください。