「イエスは御霊の力に満たされて、ガリラヤに帰られた。」[ルカ04:14]
1.現代キリスト教において、耳にタコが出来るぐらい聞かされるのが「聖霊に満たされる」ということです。
しかし多くのクリスチャンの本音は「言われたとおりやっているのだが、うまく行かない。」というものではないでしょうか。
聖霊に満たされても必ずしもうまく行くわけではないことを説明するために、多くの人が疑問符がつくような説明を行います。
たとえば、「異言は聖霊充満の印ではない」と言うのがあります。
これを主張しているのが、実質的に異言を否定する福音派ではなく、ペンテコステ派の中の人たちです。
ありのパパはこれはペンテコステ運動の総否定につながる危険な主張であると思います。
今持っているものを投げ捨ててはなりません。
もう少し冷静になって、論理的に考えてみることにいたしましょう。
2.クリスチャンが聖霊に満たされても様々な点で問題を解決できないでいるのは、単に聖霊に満たされるというところに留まってしまい、聖霊の力に満たされるというところまで行かないことが、真の原因であるとありのパパは考えています。
だからと言って、すぐに40日断食に走らないでください(笑)。
荒野の試みにおけるポイントは、イエスが断食なさったということとともに、サタンの誘惑に勝ったという点です。
誘惑の一つ一つを見ていくと、わたしたち普通の人間が遭遇する誘惑と何ら変わるところがありません。
しかし正直に生きる生き方を選び取っている方々はみな同意されることですが、勝つのが難しい種類の誘惑であるのです。
第一の誘惑は、食糧の問題です。
現代でも、危急の飢餓にどう対処するかという問題と、その国の人々が援助を受けないで済むためにはどうしたら良いのかという問題は、バランスを取るのが難しい問題です。
この問題の本質は、物質的充足と霊的充足のバランスをどう取るかというところにあります。
どちらか一方だけを重んじるなら、そこには惨憺たる失敗が待ち受けています。
私たちクリスチャンは生きている間、自分の心を見張りながら、両方のバランスをとっていく必要があります。
二番目の権力と栄光の問題、三番目の人の目を引きたいという虚栄心の問題も、生きている限り私たちにまとわりついて来る誘惑です。
3.聖霊充満の恵みによって、これらの誘惑に勝てたとき、聖霊の「力」に満たされることが可能となり、本当の勝利者となることが出来るのです。
ありのパパを含めて多くのクリスチャンの誤りは、この戦いにおいてカウンセリング的アプローチをとらないところにあります。
どういうことかと言うと、聖霊に満たされて「当たって砕けろ!」の精神で問題にぶつかっていき、結局玉砕してしまうのです。
このやり方でうまく行くのなら、それでも構いません。
しかし何回やってもうまく行かないなら、方法を変えてみるしかありません。
失敗すると分かっている方法を何度も繰り返すのは、賢いことではありません。
神は救われて、聖霊のバプテスマを受けて、異言を用いて神様と人格的交わりをなすクリスチャンに、本音をあらわにして欲しいと願っておられるのです。
そして一つ一つ自分の問題を解決していくことによって、御意にかなった人格的存在となるのが目標です。
どうでしょうか?決してたやすくはない道ですが、ご一緒にこの道を歩んでまいりましょう。