「あなたのうちの光が暗闇にならないように、気をつけなければなりせん。そうでないと、わたし(イエス)の本当の姿を見抜くことができません。」[ルカ11:35]
1.心にある光とは何のことでしょうか?
イエス様は私たち一人一人に、心の中にある光が暗くならないように気を付けるようにと言われました。
ありのパパは、内的な光とは「良心」を指していると考えています。
良心の別名は「先行的恩寵」です。
堕落によって自らの力によっては神を信じることも、神の救いにあずかることも出来なくなった人間に、神様が救いに先立って恵みをお与えくださり、人間が信じようとするなら信じることが出来るようにしてくださいました。
これを先行的恩寵と言います。
2.「内的な光が暗くならないように」とは、どういうことでしょうか。
悪いと分かっていて悪を行うとき、心が暗くなります。
さらに悪を行い続けていくとき、心は真っ暗闇になります。
初めは悪を行うことに抵抗があったのに、段々抵抗を感じなくなります。
最後は罪を犯すことが日常茶飯事になります。
このようなとき(心が真っ暗闇になったとき)、イエスの本当の姿を見抜くことができなくなると言うのです。
3.「イエスの本当の姿を見抜くことができなくなる」とは、どういうことでしょうか。
本当の姿とは、言葉を変えて言えば、イエス様のみこころが分からなくなるということです。
もっとかみ砕いて言うと、イエス様に愛されているのにもかかわらず、自分なんか愛されていないと感じるようになると言うことです。
これには色々な理由が考えられますが、理屈より自らの体験に目を向ければ納得がいくのではないでしょうか。
親子関係を見てみると、非行に走る子供たちは一般的に言って、親の愛情を確認するために悪いことをわざとやります。
それで親の反応を見るわけです。
そのときに親が怒りにまかせて、「お前なんか、わたしの子供じゃない!」などと言ってしまうと、子供は「やっぱりわたしは愛されていないんだ。」と受け取ります。
そして今度は愛してくれない親への復讐行為として、非行にますます走っていくというわけです。
神様と人間の関係は、親子関係でもありますから、同じような法則が適用できます。
○私たちクリスチャンは生きている限り、心を見張って、心の光が暗くならないように気を付けていなければなりません。
この御言葉はクリスチャンへの約束でもあります。
a.私たちの全身が明るくなる(罪から解放された生活を送るようになる事を指しています)
b.イエス様を完全に知る(神が私たちを愛しておられるということを疑いなく納得することを指しています)
この二つの条件が満たされるなら、周りの人々が抱える問題を解決するお手伝いをさせていただくことが出来、またイエス様を本当の意味で人々にお伝えすることが出来るようになるという約束です。
いかがでしょうか?現在の私たちは周囲の人々にとって、光でしょうか、それともお荷物のような存在でしょうか。
私たちが人々にイエス様を伝えるとき、人々は宗教を伝道していると受け取っているでしょうか、それとも私たちを愛し、私たちを心配していてくださる御方としてのイエス様を伝えてくれていると受け止めていただけるでしょうか。
ご一緒に光の子供としての歩みを進めてまいりましょう。
祝福をお祈りしています。