よく「戦前と今はちがう」と言われます。
靖国神社参拝を行う戦争遺族の家族の方々の素朴な信仰心を利用して、自らの政治的野心を達成しようとする政治家の口からも同じセリフが出てきます。
妄想と捏造の歴史観にもとづく歴史教科書の問題でも、「戦前と現在とは違うのだから、心配いらない。」という意見があります。
本当にその通りでしょうか?
ありのパパはそのようには考えません。
1.「戦前」の日本は今の日本とそんなに変わらなかった。
何か負の象徴のように言われる戦前時代です。
もちろん極端に貧しい層が存在したこと、女性の社会的地位がお話にならないほど低かったことなど、確かに現在とは違うこともあります。
しかし現在とほとんど変わらないものも、多くあったのです。
①完全な議会制度が機能していた。
民政党というリベラルな政党と政友会という保守主義の政党が存在し、交互に政権交代を繰り返していました。
男性に限られていましたが、税金の納付額によらない完全な普通選挙制度が実現していました。
②完全な言論の自由が存在していた。
東京日々新聞や朝日新聞・読売新聞など今もなじみのある新聞が、毎日発行されていました。
③完全なキリスト教宣教の自由があった。
誤解されることですが、この時代にもキリスト教宣教の自由がありました。
この時代にホーリネス教会は大リバイバルを経験し、満州にまで宣教の歩を進めました。
2.何が現在と違ったか。
①情報公開が全くなされていなかった。
官僚によって情報が完全にコントロールされ、官僚に都合の良い情報だけを流され、その情報に新聞を初めとしたマスコミは完全に踊らされ、国民はこれを全く真実であると信じました。
②神道原理主義が大きな勢力を振るっていた。
どんな宗教であっても、その信仰を持つ人々が原理主義に対抗するのは難しいことです。
なぜなら原理主義者が自分たちの単純・素朴の信仰を利用して、彼らの政治的野心を達成しようとしているのを見抜いていないと、彼らの言動は美辞麗句に飾られていますし、至極もっともなことしか言わないため、同意せざるを得ないからです。
③教会が政治的関心を持たず、預言者の役割を果たさなかった。
福音派キリスト教はひたすら救霊に明け暮れ、教会の拡張にのみ関心がありました。
リベラル派教会は政治的洞察力はありましたが、どういうわけか声を上げず、預言者の役割を放棄しました。
3.戦後と戦前のちがい
①国内体制で言えば、何も変わりはしません。
戦後と戦前が違うなどということは、幻想でしかありません。
神道原理主義の残党が「戦前とは違う」と言うのを信じてはなりません。
彼らは甘い言葉で国民の警戒心を麻痺させて、その間に国家機関を乗っ取る企(たくら)みをしているのですから。
②情報公開を徹底して求めていかなければなりません。
同じ国かと思うほどに、県ごとに情報公開の程度が違います。
静岡県では、情報公開の程度は上の方ですが、その故に静岡空港問題では知事が辞任に追い込まれました。
長野県では、情報公開の程度は下の方ですが、長野オリンピックの誘致に関して不正な税金の支出があり、それを隠すために誘致資料を全部燃やしてしまいました。
情報公開がなされていない限り、国民は裸の王さまに過ぎません。
いいように転(ころ)がされ、あしらわれるのが関の山です。
③教会は政治の動きを監視し、預言者としての役割を果たさなければなりません。
教会は戦後も何も変わりませんでした。
一番変わらなければならない存在である教会が、一番変わることがありませんでした。
福音派教会は究極の教会拡張戦略である教会成長運動にうつつを抜かし、その結果、教会のカルト化を引き起こしました。
リベラル派教会は相変わらず政治的関心は高いのですが、伝道しないので教会のメンバーが高齢化しつつあり、急速な減少化傾向にあります。
預言者がどうのこうのと言う以前の問題を緊急にどうにかしなければならない段階に来ていると個人的には認識しています。
◎世の人々が言うようには歩まず、聖書の原理に従って歩むことが今ほど必要とされている時代はありません。