一日断食で健康に生きる(その1)

初代教会の人たちは水曜日と金曜日、朝食と昼食を抜き、夕方に軽めの食事を摂る習慣があったそうです。
現代に生きる私たちも実践してみると良いのではないでしょうか。

①日本の教会に断食というものを明確に主張し持ち込んだのは、韓国純福音中央教会のチョー・ヨンギ名誉牧師の義母に当たるサイ・シジツ先生でしょう。

この肝っ玉母さんのような婦人牧師が神様から導きをいただいて、たった一人で日本各地を伝道して回ったのでした。
誰にも相手にされず、それでも不思議に明るく、自分は使命を果たすだけと思い定めているかのごとく、いさんで伝道に励む姿に真の伝道者の姿を見させていただきました。

②この先生が「私の願いは伝道、夢で見るのも伝道。この民を救うのも伝道、国の栄えるのも伝道。伝道はイエスの命令、伝道をしましょう。」と歌うように説教し、「断食で日本一千万人救霊でございます。」と宣言するのです。

韓国の祈祷院に行けば山に掘った穴に入って祈り、夜通し叫びながら祈る信者が多くいるのです。
その熱心さに圧倒されましたが、同時に韓国人クリスチャンがお腹がすけば食堂で堂々とお粥をすする姿を見て驚きました。
私たち日本人クリスチャンは祈祷院でいったん祈り始めるなら終わりまで食べてはならぬとの暗黙の共通認識に基づいて頑張り抜くのです。(ありのパパはこっそり山を抜け出して、ふもとの食堂でうどんをすすっていました。(笑))
なぜ同じことをしているのに、こんなに違った現れ方をするのか、その当時は理解できませんでした。

(同じ教会で韓国人主体の一部礼拝では熱心な賛美ではあるが皆が自由に神様に賛美し神様の愛を感じているのが、脇で見ていても良く分りました。それが日本人主体の二部礼拝では熱心ではあるが軍隊のような一糸乱れぬ賛美がなされるのです。そこでは集団に酔う恍惚はありましたが神様の愛を体験的・個人的に感じることはありませんでした。)

③話を本筋に戻しますが、近頃ちまたでは「一日断食」というものが流行しているようです。

クリスチャンは二千年前から実行していたのです。
考えてみると私たちは多くの宝物を知らず知らずのうちに捨ててしまっているような気がしてなりません。

日曜を断食の日とするのはいかがでしょうか?
そうすると朝食を食べていて遅くなり、礼拝に遅刻してしまったということもありません。
礼拝の説教中も、今までなら寝ていたのに断食をしているとお腹がすいて寝るどころではありません。
礼拝の後の交わりも、そこで出される軽食が楽しみで必ず出席するようになるかもしれません。
そして何よりダイエットの努力をしないで体重を減らすことが出来ます。
ダイエットのために断食をすることなど苦しすぎて出来る相談ではありませんが、神様との交わりと祈りととりなしのためであるなら断食できます。
その副産物といいますか、グリコのキャラメルについてくる景品のように、気がつくとやせることが出来ているのです。

どうでしょうか?あなたもチャレンジしてみませんか。

強い注意と勧告
〇一日断食をしますと、当然のことながら栄養量の摂取は七分の六になります。
栄養失調と栄養不良はちがうことです。
たくさん食べていると思っていても栄養失調になることはありえます。
ですから一日断食をなさるのであれば、是非四群点数法に基づく食事をなさることをお勧めします。(四群点数法はクリスチャンの栄養学者が考案したものであり、わが国の学校給食や病院の食事などに取り入れられるなど現代栄養学の基礎となっているものです。)
一日断食といっても一週間に一回一日断食をすれば、一年間に52日間断食をすることになります。
これは一年のうち約二ヶ月間を断食するということです。ラマダンの比ではないのです。
甘く見ていては健康に重大な被害を及ぼすことになります。

〇体重が標準体重から-10%の人は断食をしてはなりません。
まずたくさん食べて体重を標準状態にしてから、断食を始めてください。
そうしないと、これも重大な健康被害を招くことになります。
脅かしているのではありません。断食をしなくても死ぬことはありません。
ですから以上の二点が守られる方だけ断食をなさってください。
くれぐれもよろしくお願いします。

4 thoughts on “一日断食で健康に生きる(その1)

  1. おはようございます。
    サイシジツ先生のお名前を目にして懐かしさが爆発しています。
    このサイ先生が私にペンテコステ体験を与えてくださるきっかけとなったのでした。

    当時私は知り合いに誘われて韓国ソウルの西大門にある純福音教会(ヨイド以前の教会です)に10日間ほど出席していました。時間はあるが金はない・・。宿泊はサイ先生のご好意でサイ先生のご自宅でした。
    主日礼拝は勿論のこと徹夜祈祷会・早朝祈祷会などに出席する日々でしたが、ある日突然何の前触れもなく聖霊のバプテスマに与りまして、サイ先生に優しいフォローのおかげで自分に何が起きたのか分かったのでした。

    ビリー・グラハムの集会をきっかけに求道心を与えられた私が通い・受洗した教会はバプテスト系でした。しかしながらそこは当時は聖霊のバプテスマ等に対しては警戒心あるいは否定的雰囲気を持っていたと思いますので、私はこのようなことを皆目知らずに居まして当然求める気も一切なかったのでした。

    その後私は身内がペンテコステ系の教会にもおりましたので、自然にそちらに通うことにしました。
    当時の福音派の教会の牧師先生には正直なことをお伝えして、円満に転会をしました。今でも受洗した教会とは行き来はあるのです。

  2. さい先生は 元気いっぱいで 明るかった 声が大きかった、日本の悪口を いわなかった 素敵な おばさまでしたね
    わたしはまだ 20代やったので 正直 ちょっと苦手やなあと 思いましたが
    キリストにあって 日本人を 愛してくださった 恩人であると 感謝しています。

  3. こんにちは。
    あの頃が福音派の第一の転機だったと思います。
    当時あれほど批判されたり非難されたりしながらも、人権侵害などの問題が起きなかったのは、背景にきちんとペンテコステ神学があったからではないかと考えています。
    この転機はうまく乗り越えることができたのですが、第二の転機に当たる聖霊第三の波では、波に乗ることに失敗したと思います。
    聖霊第三の波においての、いやし・印・奇蹟・不思議の力の伝道を福音派神学では支えきれなかったということでしょうか。
    三階建ての建物を支える力しかない基礎と土台に七階建ての建物を増築したらどうなるかということに思いが至らなかった私たち教会の失敗だったと思います。

    今度こそ、人権を守り、個性を尊重し、一人一人がありのままの自分を喜ぶ神にある信仰を土台にしなければならないと思います。
    この基礎と土台であれば、何階建てであっても大丈夫!

  4. こんばんは

    ぼくの 場合には 朝から 日の暮れまでという
    ラマダン的 断食は しばしば あります

    というか 生活が 不規則で 自然に そうなっております(笑)
    たしかに 特別に神様と向き合うときには、イエス様も ダニエルも モーセも 断食 されておられますね
    ぼくなんかは、正直 3日でも こわいです

    しかし ご紹介の方法なら できるような 気が いたします ありがとうございました。

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