1.人には勘違いというものがあります。
ありのパパは中学生ぐらいまで「月極駐車場」を「げっきょく駐車場」と読んでいました。
ある時、友人と話していて、友人が「つぎぎめ駐車場」と言っているので、「つぎぎめ駐車場って、何?」と聞き直しました。
それで初めて「げっきょく駐車場」ではなく「つきぎめ駐車場」であることを知ったのでした。
そのほかにもメンタームの「近江兄弟社」を「おうみきょうだいしゃ」と読んで笑われ、正しくは「けいていしゃ」であることを知りました。
それが何十年か経って今は正式な読み方が「おうみきょうだいしゃ」になったのだそうです。
「どうだ、ざまあみろ!」(一体誰に向かって言っているのやら(笑))
2.このような勘違いしていた中で最大のものは、尊属殺人に関するものです。
ありのパパはてっきり、親が子供を殺したら極刑というのが尊属殺人だと思っていたのです!
それが正しくは、子供が親を殺したら極刑というのが尊属殺人だったのです。
みなさんは、知ってましたか?(知らないのはお前だけだって?)
これを知ったときのありのパパの感想は、「子供が親を殺すのだから、きっと何かやむにやまれぬ事情があったのだろう。そうであるのに、それを極刑とは子供はたまったものではないな。」というものでした。
(どうぞ不逞の輩と非難なさらないでください。お叱りのメールもご遠慮いたします(笑)。)
なぜそのように感じたのかの理由が最近まで分かりませんでした。
それが「カラマーゾフの兄弟」についての解説を伺ったことで、心に光が差し、何十年かぶりにそのことについて気づきが与えられました。
解説をしてくださった方はご両親に愛されて育った方のようでした。
そして親に愛されて育った子供として、「カラマーゾフの兄弟」の解説をされるのです。
しかしなぜ子供が親を殺さなければならなかったのかについては、それでは分からぬのです。
分からないから農奴制に原因を求めてみたり、ロシアの文化的精神性に原因を求めます。
その解説を聞いていると、忘れていた大昔の記憶が思いだされ、ありのパパの心の深いところから「そうじゃない。そうじゃないんだ。」という叫びが聞こえてきました。
明らかに分かったことは、養育者から圧迫を受けている存在として自分自身を捉えていたのですが、それを自覚することはあまりにも辛すぎるので、その自覚を抑圧していたのです。
それが大人になり、その自覚を受け止めることが出来るようになっていたので、カラマーゾフの兄弟についての解説を聞いたことがきっかけとなり、無意識下にあった記憶が呼び覚まされたというわけです。
3.十戒を見ても、「父と母を敬え」はあっても、「子供を大切にせよ」というのはありません。
当時のイスラエルばかりでなく、どの社会であっても子供は価値ある存在という考えはなかったようです。
わが国においても、1549年にカトリックの宣教師がやってくるまでは、「赤子殺し」が一般的に行われていたようです。
(生まれたばかりの赤ん坊の息が出来ないようにして絶命させる方法です。)
それが宣教師がやってくると、キリシタンがそんなに増えていない段階で、この赤子殺しの風習は速やかになくなっていきます。
たぶんキリスト教の教えに触れることで、良心が覚醒されたのかもしれません。
また南米アメリカ大陸においても、子供たちを生贄(いけにえ)として捧げることが宗教儀式として当然のこととして行われていたようです。
それを止めさせたのはやはりカトリックの宣教師でした。
南米大陸において、カトリックが侵略のお先棒を担いだというのも事実です。
しかしカトリックを含むキリスト教の宣教が、子供たちの踏みにじられていた人権・生存権・社会的権利を回復することに大きな役割を果たしたというのも、神の御前において尊い事実であるのです。
子供は軽んじられる存在であり、人権を踏みにじられて当たり前の存在でした。
神様は、踏みにじられている者の味方であられ、助けてくれる者がなくて絶望する者の光となってくださる御方です。
父なる神は御子イエスをこの社会に送ってくださり、御子を信じる人を通して、子供の人権を守る働きを開始されました。
また癒されない子供時代の記憶を持つ人にも、親替えを通して、父と子の関係を正常化し、癒してくださるのです。
どんな苦しい過去をもっていても、神がキリストの十字架の血潮で、そこから解放してくださいます。
あるアダルトチルドレンの方が、12ステップの四番目の棚卸のところを読んでいるだけで、昔の思い出がよみがえり、読むことができなくなったと、ブログに書いておられました。
無理をする必要はありません。(無理しようとしても出来ることではありませんから。)
神様が助けてくださいます。
祝福を祈っています。
ありのパパさん、おはようございます。
実は私も月極駐車場を「げつぎょく」と読んでしました。
しかも中学生の頃までとかじゃなくて、大人になるまで。
今でも、看板を見ると無意識に「げつぎょく」と読んでしまいます。
「つきぎめ」なら分かり易く「月決駐車場」と書けよ、というのが今でも本音です(笑)
ちなみに「近江兄弟社」は「けいていしゃ」なのですか?
今はじめて知りました。昔からずっと「きょうだいしゃ」だと思っていました。
だから知ったかぶって、ノンクリスチャンの人に「近江きょうだいしゃ」は、キリスト教と関係あるんだよ、みたいに言っていました(恥ずかし~)
思い込みによる勘違いで、あと有名なのは、アニメの「巨人の星」の主題歌で、飛雄馬がグラウンドのローラーを引きずりながら「思い込んだら試練の道を」と歌うのを、「重いコンダラ」と勘違いして、大人になっても、あのグラウンドのローラーを「コンダラ」と思い込んでいる人が結構いるようです(笑)
くだらないコメントで申し訳ありません。
良い聖日をお過ごしください。
ヒラぴゃんさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
言われて始めて気づきましたが、ひょっとしたら近江兄弟社は初めから「きょうだいしゃ」であったかもしれません。
基督兄弟団も初めから「きょうだいだん」でしたから。
では。
メソジスト・ホーリネス・ウェスレアン・アルミニウス主義の教団の所が、基督兄弟(きょうだい)団で、それにメノナイト系が加わった教派が日本キリスト兄弟(けいてい)団ですね。
もう一つ余談ですが、ペンテコステ派で日本チャーチオブゴッド教団があり、メソジスト・ホーリネス・ウェスレアン・アルミニウス主義の教団のチャーチオブゴッドがあります。
ついでに、「情けは人の為にならず」は全くその意味でとらえていました。つまり情けは非情なんだ、と。
エシュコルさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
エシュコルさん、「コメントしてくださる方へ」に書いてありますように、まず自己紹介をなさってください。
所属教派と、ご自分の背景にある神学を明記してくださいませ。
また、特定の人物の表記はお控えください。
よろしくお願いします。
了解しました。
私は福音派かつペンテコステ派でもあるのかな?
神学的には伝統的福音派かつ根本主義になるのでしょうかね?
そんな感じで宜しいでしょうか?
エシュコルさん、こんにちは。
自己紹介、ありがとうございます。
なんだか分かったような、分からないような(笑)。
でもそれがエシュコルさんの自己像であるのかもしれませんね。
これからもよろしくお願いいたします。