皆さんは、どうしたらお金を貯めることが出来ると思いますか?
今日は、お金が知らないうちに貯まってしまう不思議な方法をご紹介したいと思います。
(怪しさ満点ですね(笑))
1.その前になぜクリスチャンであってもお金がたくさんあった方が良いかを考えてみたいと思います。
こんなことを言いますと、どこからか「何言うてるの。お金はあった方が良いに決まってるやないの」という声が聞こえてきそうです。
しかしなぜお金が沢山なければならないかの真の理由を知らない人は、いつまで経ってもお金が貯まらない人です。
なぜならお金というものは、志のある人のところにひとりでに集まってくるものだからです。
①無職になっても一年ぐらい食べていける蓄えがあると、会社などで上司に直言しなければならないときや、不正を見過ごさずに告発しなければならないときに、迷うことが少なくて済みます。
会社を首になったら、明日から食べていけなくなるような経済状態であれば、「神に従え!」といくら叫んでも実行力はありません。
シビアなことを言えば、神に従うために必要な前提は信仰であるとともに、その信仰の下支えになるのはお金です。
②退職後は働かなくても生活していけるように、子供にお金がかかるときから、退職後の生活のための資金を貯め始めることです。
多くの人たちは定年後もぴんぴんしています。昔は定年後10年ぐらいであの世行きだったのですが、今は事情がちがいます。
どちらかと言うと、定年後の人生こそ、人生本番と言えるかもしれません。
ありのパパが若かったころ、アメリカから退職したクリスチャン達が大勢来てくださり、各地で教会堂を建て上げる働きをボランティアでしてくださったことがありました。
このように退職後の人生を、自分が生きたいように生きるために、お金の準備がどうしても必要です。
③皆さんはパウロがなぜ当然の権利である教会からの報酬を受け取らなかったと思いますか?
ありのパパは、報酬を受け取らないことによって、パウロは自らの意見の自立性を守ったのだと考えています。
その当時のキリスト教の中心であったエルサレム教会は、自らの行いによっては決して律法の要求を満たすことは出来ず、救いに達することが出来ないと身に沁みて分かっていたはずなのに、徐々に律法主義にバックスライドしていきました。
このような状況の中で、教会から報酬を受け取ることは、大変危険な取引をすることを意味しています。
なぜなら自分が批判する相手から、お金をもらっているということは、いつかはその相手の主張に飲み込まれてしまう危険があるからです。
これが現代のキリスト教の問題でもあります。
教会から報酬を得ている牧師は、教会に逆らうことが出来ません。
この場合の教会とは、役員会であったり、教会員の中の多額献金者を指します。
またカルト化した教会で、副牧師や伝道者が主任牧師の間違いに気づいていながら直言しない理由も、ここにあります。
経済的に自立していない教役者ほど惨めなものはありません。
パウロはテント・メーカーとして働きながら、そこから生み出される利益と、自分の意見に同調してくれる教会からの献金で、宣教活動を行いました。
(気をつけないといけないことは、パウロはこれを党派心からでなく、福音の真理を守るためにやったのでした。その証拠に彼は諸教会からお金を集めて、エルサレム教会に寄付をしています。)
牧師であっても、いや牧師であるからこそ、経済的自立の手段をもっていることは重要です。
2.貯金ができない本当の理由
貯金できない人の共通点は、「余ったら貯金しよう」と考えていることです。
このように考えている限り、絶対にお金は貯まりません。
ではどうしたらお金が貯まるかというと、天引きで預金するほかはありません。
そうしたら必ずお金は貯まります。それも無理せず自然にたまります。
まず試しにやってみましょう。
万が一、生活費が不足した場合、取り崩せる安心感がありますから、始めるのに心理的抵抗感が小さくて済みます。
しかしやってみれば分かりますが、取り崩さないといけないようなことはまずありません。
什一献金が出来ない人も理由は同じです。
それは余ったお金で献金しようと考えているのです。
そうではなく天引きで十一を献げてしまい、その残りのお金で生活をするのです。
そうしたら必ず什一献金が実行出来ます。
しかし什一献金に信仰が持てない人は無理やりしてはなりません。
なぜなら献金は強いられてでなく、自発的に行われるとき、神の祝福をいただくことが出来るからです。
※ 前振りが長すぎて、本論にたどり着けませんでした(笑)。
近々本論をアップしますので、是非ご期待ください。