初代教会は一時期原始共産制と言ってもいいような相互扶助の態勢を取っていたことがありました。
ソビエト連邦が存在していた時代には、左翼関係者から初代教会の原始共産制が取り上げられることがありました。
アメリカのクリスチャンの中には、この原始共産制を理想として直截的に実行に移す者もいました。
そのような試みはことごとく失敗するか、カルト教団へと変質していきました。
その理由として神学者たちは、人間のうちには原罪があるからと言いました。
しかしそれではなぜ初代教会は原始共産制の実施に成功したのかという質問に答えることが出来ません。
○話が脱線しますが、現代では教会は良くバザーをやります。
これが貧しい人たちを配慮している印であるとされます。
しかし初代教会の人々は教会内の貧しい人々のために、自分の財産をささげたのです。
中には全部をささげた者もいました。
それに比べて自分がいらなくなった物を安く売り、その収益金を貧しい人たちに施すということの間には、何と大きな違いがあることでしょうか。
初代教会の精神(スピリット)に帰りたいものです。
○話を元に戻します。
ありのパパは、なぜ初代教会に原始共産制が突然現れたのか、ずっと不思議に思っていました。
皆さんはなぜだと思いますか?
ありのパパはこう考えます。
旧約聖書において神はイスラエルの民に、貧しい者に対する免除規定を守るように厳しく言われました。
その中にはヨエルの年の規定もありますし、今日ご紹介する七年ごとの負債の免除規定もありました。
『七年ごとにイスラエルの民の負債をすべて免除しなさい。』[申命記15:01]
本当に七年ごとに負債が免除されていたら、イスラエルは世界に類を見ない国になっていたと思います。
しかし残念ながら、この規定が守られていたことを示す歴史的な証拠はありません。
このことがイスラエルが外国の攻撃に対して弱くなった根本的な理由ではないかと、ありのパパは推測しています。
神の言葉(約束)には、常に祝福と裁きが伴っています。
即ち従うなら祝福が与えられ、反逆するなら呪いが下ります。
○イスラエルの民はこのように貧しい人々を常に配慮することを神から訓練されていたため、キリストを信じて救われたイスラエル人によって構成されるエルサレム教会は、相互扶助の実践に対して心理的な障壁が低かったというのが、ありのパパが考える初代教会に突然原始共産制が現れた理由です。
○さて、現代に話を変えます。
七年ごとの借金免除規定は貧しい人々への配慮のためでした。
どの国であっても、貧しい人々を見て見ぬふりをせず、その人たちを助けるなら、神はその国の経済を祝福してくださるのです。
これが神の約束です。
アメリカも日本も戦後直後の税制は、貧しい者への負担は軽く、金持ちへの負担は重いしくみになっていました。
しかし少しずつ改悪がなされ、気が付いてみると、金持ちへの負担は極端に軽く、貧しい者への負担は担えないほど重くなっていました。
そのようなときアメリカは、ビンラディンによる奇襲攻撃を受けました。
また日本は失われた二十年と言われる不毛の経済状態が続きました。
○経済が祝福される秘訣は貧しい者への配慮を厚くすることにあります。
そうするなら全てを支配なさっておられる神が、我が国の経済を祝福してくださいます。
これが聖書の原則であり、聖書の約束であるのです。
○去年政権交代を果たした日米両国の指導者は、この聖書の路線に沿って政策運営をしているように見えます。
これがありのパパが現政権を支持する理由でもあります。
安っぽい評論家に成り下がることなく、現実の政治に対して発言を続けたいものです。
神が願っておられるのは、「今に馬脚を現すぞ。見ててごらん」と星占いや偶像教の預言者のようなまねをすることではありません。
それは彼らが偽クリスチャンであることを証しているのに過ぎません。
神が願っておられるのは、市民社会の一員として、責任ある声を発することです。
これこそが神がクリスチャンに願っておられることです。
ありのパパさん、こんにちは。
私はありのパパさんの思想と言うか考えている事が実は怖いと思う事が有ります。
>○経済が祝福される秘訣は貧しい者への配慮を厚くすることにあります。
そうするなら全てを支配なさっておられる神が、我が国の経済を祝福してくださいます。
これが聖書の原則であり、聖書の約束であるのです。
私も貧しいものの独りとして、老後の事やまぁお金の事なんかで思い煩う訳です。
でも、自由意志を与えられている人間が「貧しい者へ配慮」する事で国家が経済的に繁栄するなんて事が有りうるんですか?
それが、聖書の原則?もう、この国は経済的に破綻しかけているんですよ。
神様が経済を支配するなんて有り得ないと単純に思います。
どこに、そのような原則が書かれているのか教えて頂きたい。
銀河さん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
○聖書全体に弱者保護の思想が息づいております。
また今回の文章の根拠聖句になっている申命記15章6節にも明確に書かれております。
どうぞ当該箇所をお読みください。
○自由意志と神の主権という二つのことをバランスを持って受け取らなければなりません。
銀河さんは、経済は破綻状態であると仰いますが、そうなったのは貧しい者を切り捨てて一部の金持ちだけが得をする経済政策の結果であると考えます。
アメリカ・日本・フランスの現政権はこのような反省に基づいて経済運営を行っていると思います。
○銀河さんが「神が経済を支配することなどあり得ない」となぜお考えになるかを述べていただきたいと思います。
そうでなければ対話になりませんから(笑)。
「私はこのように考えるが、あなたはどう考えるか」を対話のスタンスとしたいと思っています。
よろしくお願いいたします。
ありのパパさんは博識だから、手強いですね(笑)
>○経済が祝福される秘訣は貧しい者への配慮を厚くすることにあります。
そうするなら全てを支配なさっておられる神が、我が国の経済を祝福してくださいます。
これが聖書の原則であり、聖書の約束であるのです。
まず、聖書によると神は人間に自由意志を与えられた。そうですね?
神が経済に介入するのであれば、人間は努力を放棄しますよ。そこに経済の発展があるでしょうか?
では、日本が失われた20年とも言われる昨今は「神の介在」ですか?
神の罰?理解に苦しみます。
申命記15章6節「あなたの神、主は、あなたに約束されたようにあなたを祝福されるから、あなたは多くの国々に貸すが、あなたが借りることはない。またあなたは多くの国々を支配するが、彼らがあなたを支配することはない」
新改訳聖書3版
上記が神が経済を支配する事の根拠ですか?聖書は信仰の書であって経済の書では有りませんよね?
何でも、かんでも聖書が人間行動原則なんて有り得ない。
根本主義者の典型ですね。そういう所が怖いと思うんです。
銀河さん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
○まず、聖書によると神は人間に自由意志を与えられた。そうですね?
神が経済に介入するのであれば、人間は努力を放棄しますよ。そこに経済の発展があるでしょうか?
では、日本が失われた20年とも言われる昨今は「神の介在」ですか?
神の罰?理解に苦しみます。
(引用ここまで)
○まず神が天と地を支配しておられます。
その御支配の中で人間の自由意志があります。
神の介入があると自分の努力を放棄するのは、全く根拠がありません。
事実は逆で神のご介入がなければ、人は生きて行くことができません。
どんなときでも神の守りがあるから、安心して生きて行くことができるのです。
神に従うとき祝福が、神に反逆するとき呪いがあるのは、当たり前のことではありませんか。
ちっとも不思議などではありません。
○申命記15章6節「あなたの神、主は、あなたに約束されたようにあなたを祝福されるから、あなたは多くの国々に貸すが、あなたが借りることはない。またあなたは多くの国々を支配するが、彼らがあなたを支配することはない」
上記が神が経済を支配する事の根拠ですか?聖書は信仰の書であって経済の書では有りませんよね?
何でも、かんでも聖書が人間行動原則なんて有り得ない。
根本主義者の典型ですね。そういう所が怖いと思うんです。
(引用ここまで)
○聖書は神の言葉ですから、これを読むとき生きていく上ですべてのことについて導きが与えられます。
銀河さんは「根本主義者はこわい」と仰いますが、福音主義キリスト者から見ると、キリスト者を自称しつつ聖書に反する行為を平気で行えるリベラル派クリスチャンの方がもっとこわいですよ(笑)。
○銀河さん、もう少し配慮して文章を書いていただけないでしょうか。
よろしくお願いいたします。コメントの一部削除させていただきました。
ありのパパさん。私は元クリスチャンで、リベラルでも何でも有りません。
一般的な日本人の感覚(恐らく)で感想を書かせて貰っています。
そこら辺はご理解下さい。
>神に従うとき祝福が、神に反逆するとき呪いがあるのは、当たり前のことではありませんか
上記のように本気で考えているありのパパさんが怖いです。
まず、イエスを救い主と考えている日本人はリベラル派やカトリックも含めて人口の1%以下。
確かに、日本では信仰の自由が憲法で保障されていますけど、盲目的な信仰は日本人の感性や感覚とは相容れないと思います。
カトリックとありのパパさんの聖書理解は全く違うと思いますが、私はカトリックの方に軍配をあげます。
銀河さん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
信仰というものは単純素朴なものです。
どのような宗教であったとしてもです。
盲目的な信仰とは、どういう意味でしょうか?
私から見ると、銀河さんの思い込みが恐いのですが。
クリスチャンの数が1%と仰いますが、真理は数には依りません。
元クリチスャンの銀河さんに、カトリックに軍配を上げると言われても………。
そのようなセリフは銀河さんがカトリックに入信してから言うべき言葉ではないでしょうか。
どうぞ銀河さんがどう考えるかを大切にしてください。
人がどう言っているかは二の次の問題です。
なお一部のコメントを削除させていただきました。