今日は「回復のステップ」から学ぶ二回目です。
1.12ステップの3番目のステップには「私たちは自分なりに理解した神の配慮に、自分の意志と生き方を委ねることを決心した。」とあります。
12ステップの1番目から3番目までは、すべて決心だけです。行動を含みません。
行動は4番目のステップからです。
1番目で認めることを決心し、2番目で信じることを決心し、3番目で委ねることを決心します。
やることは決心だけですから、お手軽といえばお手軽ですが、思想的な要素を多く含むゆえに、これをどれだけ深く理解できるかが、4番目以降のステップの実践に大きく影響します。
2.自我とは意識や行動の主体を指す心理学上の概念です。(広辞苑)
3番目のステップで「自分の意志と生き方を神に委ねることを決心した」とは、自我を十字架につけることを意味しています。
ここで気を付けないといけないことは、自我を十字架につけるとは、決して自我がなくなることを意味しません。
そうではなく自我を十字架につけるとは、自分の意志と生き方を常に神の意志に従わせることを指しています。
このような意味で、古い自分(自分の意志で生きる自分)は死んで、(神に意志に生きる)新しい自分が生きているのです。
「私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私の内に生きておられるのです。
いま私がこの世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」[ガラテヤ2:20](新改訳聖書)
3.ありのパパは以前は自我の磔殺というものは人生において一回限りのものであると考えていました。
①確かに一回限りですが、その後の理解が間違っていました。
それは死んだのだから、後は神様にお任せという感覚だったのです。
これは正しい理解ではありませんでした。
正しい理解は、神の意志に従う決心をしたからこそ、毎日の生活の中で全ての領域で神の意志に従えるようにしなければならないというものです。
②ありのパパは信仰をもってはいるのですが、長い間、不全感がありました。
それは信仰の各領域がバラバラで少しも連携していないことが原因であることがわかりました。
救いの教理は救いだけ、聖潔の教理は聖化だけ、祝福や癒しは奇蹟のみ。
何かおかしいと感じてきました。
③12ステップは、もしステップをバラバラにしたら、ステップは何の効果もない。
12ステップを一つのものとして実践する場合だけ効果があると教えます。
ここでは信仰が生きていると感じます。
確かにアル中はアルコールから解放され、それだけでなく霊的目覚めを体験し、他のアル中にこの福音を宣べ伝えます。
クリスチャンがこの12ステップを使って、自分が抱えている解決不能な問題を解決することが出来るなら、どれだけ素晴らしいことでしょうか。
これは神様が与えてくださった現代における最大の奇蹟であると思います。
どうぞ皆さんも、この奇蹟を体験してください。
そして生き生きとした信仰生涯を送ろうではありませんか!
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