アメリカ製のドラマを見ていると、言い合いをしていて負けそうになると「あばばばば」という言葉を発するのを聞くことが良くあります。
ひょっとしてこれってペンテコステ教会で行われている異言の祈りをもじっているのではないかと思うのですが、如何でしょうか?
まぁ、それぐらい異言の祈りが未信者にとっても一般的になっている証拠かもしれません(笑)。
今日は皆さんとご一緒に、異言の祈りの効果について考えてみたいと思います。
①聖霊に満たされ続けるために必要。
聖霊のバプテスマによって聖霊充満は実現します。
一般的に言って、聖霊充満のとき感情的に高揚することがあります。
それで気分が高揚することが聖霊充満かと錯覚することがあります。
宗教体験における感情を過度に求めることは健全なことではありません。
これを求め続けることは、カウンセリングの視点から見て、偏り感の強い人格を形成してしまう危険があります。
異言の祈りをするとき、(特に大集会などで)興奮状態で異言で祈る人々がいます。
ある面ではこれは聖霊充満を求めているのではなく、興奮状態を求めていると言えるのではないでしょうか。
異言の祈りは、聖霊のバプテスマにおいて実現した聖霊充満を引き続き維持させるために、神が与えてくださったものです。
ですから与えられた目的をわきまえて使用しなければなりません。
感情が高揚してもしなくても、異言で祈るとき、聖霊に満たされ続けることが出来ます。
②神様との人格的交わりのために必要。
人間が持っている言葉だけでは、神との人格的交わりのためには十分ではないと感じている方が多いのではないでしょうか。
もしそのように感じておられるなら、是非異言で祈る賜物を求めてください。
そうするなら、人格的交わりの何たるかを実感されるでしょう。
③空虚感の解消のために必要。
人の心の中には、神でなければ満たすことの出来ない、空虚感という名前の穴があいています。
ある人はその穴を満たすために、快楽を求めたり、お金を求めたりします。
またある人は穴を満たそうとしてドラッグに走ります。
しかし得たものは空虚感の解消ではなく、空虚感を紛らわすものでしかないことを気づきます。
クリスチャンになっても、空虚感を満たすことが出来ないでいる方も多いと思います。
異言で祈ることによって、この空虚感を神の愛で満たすことが可能です。
④精神的自立のために必要。
精神的自立のために必要なものは一つではありません。
様々な要件がありますが、その中の一つに異言で祈る賜物を活用することによって、神と直付け(じかづけ)の関係を構築することが挙げられます。
神に支配されない限り、神以外の何者かに支配される危険があります。
⑤心の傷の癒しのために必要。
カウンセラーに向かって、クライアントが自分の心の傷を述べるのは、思う以上に骨の折れる作業です。
(そうだからといって、カウンセリングをしないで良いといっているわけではありません。ただ人間同士が行うことにはメリットもあるが、限界もあるということを申し上げたいのです。)
異言で祈るとき、私たちの霊は聖霊の言い難きうめきによって、神に自分の心の傷を申し上げることが出来ます。
異言の祈りを何十年も続けているペンテコステ派クリスチャンを取材してみると、人格的健全さを強く感じます。(もちろん残念ながらそうではないペンテコステ派クリスチャンもおられます。)
◎異言の祈りはあってもなくても良いものではなく、必ずなければならないものです。
このブログをお読みになられる全ての方に、異言で祈る賜物を求めるよう心からお勧めします。