拒絶されることがないイエス様(その1)

よく「腹をくくれ」とか「当たって砕けろ」とか言われます。
しかしこれが出来る人と、出来ない人がおります。
ある一方の人は唐変木(とうへんぼく)で、ひょうひょうとしており、何も考えていないようにも見えるのですが、いざとなると腹をくくることが出来、困難な事態に対して当たって砕けることが出来ます。
もう一方の人は、通常はよく物を考えているようであり、思慮深くあるようにも見えるのですが、いざというとき身がすくんでしまい普段の実力を発揮することが出来ないばかりか、大ちょんぼをやらかしてしまったりします。
この違いはどこから来るのでしょうか?

1.それは恐れから解放されているか、いないかによるのです。

火事場の馬鹿力を発揮できる人は、失敗に対する恐れがない人です。
失敗に対する恐れとは、正確に言うと、失敗したときに周囲の人々から拒絶される恐れということです。
幼年期から少年期に掛けて、自分が人と違うことをしたとき、(とくに日本の場合ですと)まわりから拒絶されます。
この拒絶とは、言葉通りのものではなく、本人が拒絶されたと思い込むということです。
人は暖かな眼差(まなざ)しを向けられると、受容されたと感じ、冷笑の眼差しを向けられると、拒絶されたと感じます。
家庭の外でこのような拒絶の体験をしたとき、そのことを家に帰ってから両親に話し、両親から受容されると、拒絶体験は無効化されます。
しかし一般的な日本の家庭ですと、子供は外であったことを家に帰って話しません。
それで拒絶体験は子供の心に蓄積されていくことになります。
その子どもが大人になったとき、失敗に対するコントロール不能な恐れを持つのは当然のことかもしれません。
うまくいっている間は良いのですが、少しでも失敗する兆(きざ)しが見え始めると、無意識の領域に抑圧してきた、つらく悲しい記憶が呼び覚まされ、足がすくみます。
本人がそうなる理由を知っていれば、まだその恐れをコントロールできますが、そうでない場合は恐れの感情に支配され、振り回されることになります。

2.人に拒絶される恐れからの解放

人がなぜ失敗を恐れるかというと、失敗することによって人々から拒絶されることを恐れるからだというのは1.で述べた通りです。
ではこの恐れから解放されるためにはどうしたら良いのでしょうか。
それは私たちを絶対に拒絶されることのないイエス様に、わたしの家族・わたしの父となっていただくことです。
ありのぱぱは今ここで、あなたに信仰をもつことが一番の解決策であると言おうとしているのでしょうか。
いいえ、そうではありません。
もちろん信仰をもっていただくことはありのパパの願いではありますが、今言おうとしていることは、そういうことではありません。
イエスをあなたの父としてください。
そして新たにあなたの父となられたイエスと、親子関係を再構築してください。
これがありのパパの言いたいことです。
(きつい言い方に聞こえるかもしれませんが)ぼぉ~と読んでいると、「あぁ、そうか~。」で素通りしてしまうかもしれません。
しかしあなたが心のどこかで普段から、「自分は漠然とではあるが、なにか人に受け入れられていないという思いがある。」と言うのなら、是非一度試してみてください。
体にはツボがあって、そこを押されると体が気持ちよく感じるように、心にもツボがあって、そこを押さない限り、心は反応しないのです。
それで心が反応するためには、ツボを見つけ出すために自分から心の向きを色々変えてみなければなりません。
そのようにして心のツボを見つけ出し、「自分の心のツボはここだ!」というところをはっきりさせます。
これを試してみてほしいのです。
そうすると、イエス様との親子関係が口先だけ、理論だけ、頭だけの、実質を伴わない空っぽの関係から、イエス様のことを考えると涙が自然と出てくるような血の通った親子関係になることが出来ます。
そして拒絶されることのないイエス様をわが父として受け入れ、人生を歩み続けるとき、人に拒絶される恐れから解放されていくことが可能となるのです。

(つづく)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">