受容と伝道(その1)

ありのパパが工場でアルバイトをしていたとき、そこで働いている方に「宣教師ですか?」と言われたことがありました。
驚いて、なぜそう思ったのかお尋ねしますと、その方は「いや、宗教を背負って生きているように見えたから。」と仰られました。
それを聞いて、ありのパパは複雑な気分になったことを覚えています。

①日本のキリスト教会にカウンセリングが入ってきたとき、ありのパパと同じ教団に属する婦人牧師がカウンセリングを勉強しに行ったことがありました。

病院での実習で、入院患者さんとお話する場面で、その婦人牧師は我が教団のセオリー通り、[神・罪・救い]について立派に語りきったのですが、どうやらそれが悪かったようです。
実習の反省会で講師の先生から「あなたは何をしましたか?」と聞かれて、その婦人牧師は自信を持って「はい、福音をお語りしました。」と答えたところ、「いいえ、あなたは自分の考えを患者さんに押しつけただけです。」と言われてしまい、大変ショックを受けたようでした。
その当時は今と違い、教える方も経験不足でした。
そんなふうに指導されたら、どれだけ傷つくかということに配慮する余裕がなかったようです。
私自身は神学校入学と同時に、その教団を離れたのですが、あれから何十年という年月がたつのですが、今でもその教団にはカウンセリングの「かの字」もありません。
導入の段階で躓(つまづ)いた結果です。
カウンセリングを教える者が、もっと慎重に振る舞うことが出来たなら、結果はもっとちがうものになっていたと思うと残念でなりません。

②さて、今日はそのカウンセリングの中心的な理念である「受容」をもちいた伝道について、皆さんとともに考えていきたいと思います。

今までの伝道は、クリスチャン⇒未信者という一方通行でした。
それに対して受容を用いた伝道は、未信者⇒クリスチャンというものになります。
これがなぜ伝道になるのか?
福音を語るのではなく、福音をお見せし、福音を体験していただくのです。
どうやって?
相手の存在を丸ごと受け入れることをあらわす傾聴を通してです。
あなたがイエス様をお伝えしたいと願う相手に、その方の仰ることを傾聴し、傾聴を通して受容される体験を味わっていただくのです。
多くの人々は、大げさでなく、生まれてからこの方、自分の話を黙って聞いてもらったという経験がありません。
「話だけ聞いて、どないすんねん?」と言わないでください。
あなたが黙って人様の話を聴くことができたら、実に不思議なことが起こるのです。
ただし、受容とか傾聴というのは、不機嫌な感情を隠して、いやいや人の話を聞くことではありません。
目の前にいる人は、すべてが素晴らしいと言われた神様の作品であるのですから、共感を持ってお話を伺わなければなりませんし、いたずらに黙っていれば良いわけではありません。
時と場合によっては、受容されていることを相手に体験していただくために、言葉を発しなければならないこともあります。
ここがカウンセリング・ルームでカウンセリングを行うのと、カウンセリング・マインドをもって受容伝道を行うことのちがいです。

③では、理屈ばかり言っていても始まりませんので、実例をあげますので、わたしならこう答えると決めてから、ありのパパの応答をご覧になってください。

もちろんありのパパの応答が良いというのではありません。応答の一例に過ぎません。

Q.「仕事のことで、死んでしまいたいと思うんだ。」と言われた。
A.「死んでしまいたいと思うほど、お仕事に身を入れているのですね。」

Q.「上司である私のやり方と、(部下である)あなたのやり方とどちらが優れていると思うか?」
A.「どちらのやり方も同じく効果的でしたが、(上司である)あなたのやり方が気持ち優れていたようです。良いやり方を教えていただき、ありがとうございます。」

Q.(苦情を言う方に向かって)
A.「知らん顔をしないで、教えてくださり本当にありがとうございました。」

まとめ:
西洋から来たキリスト教は人々を説得し、理詰めで迫っていくものでした。
しかしこのようなアプローチはいたずらに人々を追い詰め、反感をもたせてしまう危険のあるものです。
相手をありのままに受け入れる受容伝道は、まず相手と信頼関係をつくることから始めますから、従来のアプローチの短所を補うことが出来ます。
話を黙って聞いてもらった人は、「こんなの生まれて初めての経験だ。あなたの信じる神のことは知らないけど、あなたが信じる神様なら間違いないから、私も信じる。」と言うようになるのです。
これが日本の土壌にあった伝道であると考えますが、いかがでしょうか。

◎今日からあなたも黙って話を聴く「受容の名人」となることを通して、イエスの良き弟子となってみませんか?

2 thoughts on “受容と伝道(その1)

  1. ありのパパさん、おはようございます。

    カウンセリングの基本を分かりやすく教えていただき、ありがとうございます。

    婦人牧師のエピソードは印象的であり、かつ象徴的でもありますね。
    福音派の方々は伝道に大変熱心なので、その婦人牧師のとった行動は福音派を象徴しているように感じました。

    現在の私の(福音派)教会を創立した牧師の夫人は、ちょうどこの婦人牧師と同じようなタイプの方です。大変に伝道に熱心で、「電車で遠出したときに隣の座席に座った方に、お話しながら神様のことを伝えたわよ」というようなお証しをよくされました。

    大変に明朗な方で、いやみもなく、押し付けがましい伝道はされなかったようなので、相手の方も喜ばれる方が多かったと思いますが、その伝道に対する積極性にはタジタジでした。

    「さすが福音派!」「自分にはちょっと真似できない」と思ったものでした。

    ですから、パパさんのお話の婦人牧師のエピソードを聞いて、福音派を象徴するようなエピソードだな、と思ったのです。

    でも、それを頭ごなしに否定されたら確かにショックでしょうね(笑)
    その婦人牧師、ひいてはその教団がカウンセリングから身を引いてしまったのも分かります。

    「受容」というのは、患者だけでなく、カウンセリングを学ぼうとする者にとっても重要な意味を持つのですね。

  2. ヒラぴゃんさん、こんにちは。

    日本人は受容経験が乏しいまま大人になる人が多いといえるかもしれません。

    みんな頭では受容がどういうことか分かっているのですが、体験が乏しいので実践が追いついていかないということがあるようです。

    弟子訓練プログラムを採用した教会で、牧師の暴力ざたが問題になっていますが、これなども受容経験の乏しさが原因になっているようにも思えます。

    それはそうと私も熱心な福音派信者さんを多く見てきましたが、一方的にまくし立てる伝道方法がすべての信者に可能であるかどうかという話になると懐疑的になります。

    私自身もこのような伝道方法に無理を感じます。
    楽しんでやることが出来ませんし、満足もありません。

    まぁ、皆がそれぞれ自分にあった伝道方法を用いて、楽しみながらやることが出来たらと思って、今日の文章をアップしました。

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