アメリカ・メソジスト教会は奴隷制度を黙認しました。
その結果、アメリカは奴隷制度を廃止するために南北戦争を戦わなければなりませんでした。
これに対してイギリス・メソジスト教会は決して奴隷制度を見過ごしにしませんでした。
奴隷制度禁止のための署名活動・国会請願などを行い、ついにイギリス国内から奴隷制度を根絶しました。
この判断の違いの元になったのは一体なんだったのでしょうか。
イギリス・メソジストの責任者であるウェスレーは奴隷制度廃止を説教すると奴隷制度から利益を得ている人は、教会から離れるであろうと言っています。
しかし不正義を容認することは出来ないし、離れていく人以上の人々を神が教会に送ってくださるであろうと述べています。
これに対してアメリカ・メソジストの責任者であったアズベリーは『教会内の平和』を優先し、心ならずも沈黙したようです。
このように自分の意見を表明しないということが、後々大きな悔いになるのです。
現在、日本の教会ではセカンド・チャンス論という異端の教えが大手を振ってまかり通っています。
またこの論を主張する牧師が聖霊派の代表として「日本宣教150年大会」に参加しました。
これは悪い冗談でしかありません。
目に見える、肉的・人間的一致を優先することが、御霊に逆らう罪であるのです。
この罪は赦されることがありません。
なぜなら、多くの日本人に救いの道をふさいでしまい、『あなたがたは自分が天国に入ろうとしないだけでなく、天国に入ろうとする他の人々の邪魔をして、その人々が天国に入れないようにしている。』からです。
なるほど。だから小泉政権で決まった、派遣法案(事実上の奴隷制度)に、反発しなかった教会は、いまや縮小されて行ってるんですね。「何も言わない=事実上の黙認」という平和主義が、いかに危険かよく分かりました。
今回話題となっている、「セカンド・チャンス論」も、伝道しなさいと言う事によって、牧師と信徒の間に起こるであろう摩擦を防ぐという平和主義というような気がします。
ありがとうございました。
猫さん、こんにちは。
コメントありがとうございました。
そうですね。未信者から見て「良い子」の教会になることは、教会にとっての死を意味すると思います。
狭い門から入る必要があります。
広い門があってもそれは(永遠の)死に通じている道であるかもしれません。
またコメントしてください。
お待ちしています。