ルカ05:01~26
1.この個所には癒しの記事が立て続けに出てきます。
ありのパパは以前はこのような癒しの記事を読んでも何とも思いませんでした。
もっと正確に申し上げると、確かに目からは聖書の文字が入ってくるのですが、心と頭にヒットしないのです。
これが文化的制約ということであると知りました。
それで聖書を読むときに、癒しと印と不思議と奇跡が出てくるところに、マーカーペンで印をつけました。
すると聖書はマーカーペンの印だらけになりました。
それをずっと眺めていると、ありのパパの中に視点の転換(パラダイム・シフト)が起きるのを感じました。
2.これで一見落着と思ったのですが、そうではありませんでした。
しばらくすると、癒しの記事を読んでも何とも感じず、以前のように漠然と読み過ごすようになってしまいました。
なぜだろうかと考えてみると、思い当たる節がありました。
それは『個人的体験』ということです。
たとえば自分と性格が似ている人物が登場する聖書個所は感動するし、教えられることも多いのに、自分と似ていない登場人物の場合はそうでもないということが、皆さんにはないでしょうか?
ありのパパですと、ヨセフやサムエルには共感するが、ダビデやモーセにはちっとも共感しないのです。
同様に自分が病で苦しんだことがないありパパは、癒しの記事を読んでも共感する心の素地がないのです。
しかしアダルトチルドレンであることに苦しんできましたので、聖書の中にアダルトチルドレンと思われる人が出てくると、共感の雨あられとなるのです。
皮膚病の人が癒された記事を読んでも、自分がそうでない場合は読み過ごしてしまいがちです。
しかしご自分がアトピーで苦しんでいたり、皮膚がんに罹(かか)っている場合は、決してこの個所を読み過ごすことはないでしょう。
3.私たちは意識して共感性を豊かにする訓練を行う必要があります。
その方法は、自分に当てはめてみることです。
たとえば失恋して苦しいと訴える人がおり、自分は初恋の人と結婚したので失恋したことがない人であったとしても、ほかの何かの経験に置き換えてみるのです。
「自分は失恋のことはわからないが、親友と喧嘩して結局それっきりになったとき味わった苦しみと共通点があるのかな。」と考えてみるのです。
そのようにしていくと、いつかは自然と共感する感情が、お腹の中から湧き上がってきます。
ありのパパもそのように自分を訓練したところ、癒しの記事を読むとき、癒しが人ごとでなくなっているのを自覚するようになりました。